ゲーミフィケーションにおいてゲームから学ぶべきもの
eラーニングアワードフォーラムのゲーミフィケーション系の講演をいろいろ聞きながら。
僕は、「学びに潜む遊び的面白さ」に気づいてもらうことをやりたいのであって、「ゲーム的要素を入れる」ことにはそれほど興味がないのかもしれない。まあ、後者っぽいこともやるけども。
ゲーム的要素を「外から持ってきてくっつける」ようなイメージではなくて、アナロジーをやりたいのかもしれない。
でもまあバッジとかレベルとか、そういうよく言われる「手法」も、それはそれで効果はありそうだし、試してみるのもいいかな、とも。
RPG的な「数値的可視化」もいいけど、ゼルダやアクションゲームみたいな「プレイヤー自身が気づき、成長する」感じをデザインしたいのかもしれないな。
ファミスタの岸本さんがおっしゃってたゲーミフィケーションの6要素。能動的参加、称賛演出、即時フィードバック、自己表現、成長の可視化、達成可能な目標設定。
http://kishimotolab.org/cgu/pdf/kishimoto2_elaf_181116.pdf
「楽しく続けたくなるルール作り」「利用者に寄り添うUIの設計」というのは大事だと思う。
ゲームを面白くする鍵として「メカニクスデザイン(ゲームのルールや仕組みを作る)」と「レベルデザイン(ゲームにある空間、環境、難易度などを設計する)」と。
ゲームから学ぶべきは「デザイン」ですよね。メカニクスデザインとレベルデザイン、の2つのデザインというのはとてもわかりやすい。かなりすっきりした。
この2つのデザインをベースにして、その効果的実現のための手法として、バッジなりレベル表示なりがあるのだと思う。手法だけを持ち込んでもうまくいかないと思うな。アクティブラーニングも全く同じことが言えると思う。
ゲーミフィケーション要素を入れると、もともとモチベーションの高い子のモチベーションは下がる、低い子は上がる、という話が。ここでいう「ゲーミフィケーション」はなにか狭義のもののような気がするなあ。。
一定ポイントがたまったら賞状が1枚もらえるとすると、ずっとやってる人は賞状が100枚あり、はじめての人は1枚もない、という状況になるので、それが感じられるとモチベーションが下がる。そういったことも含むデザインも重要。というのはわかりやすいなあ。まさにそういうこと起こるよなあ。
ゲーミフィケーションという場合に、ゲームの「いわゆるゲームっぽさ」を入れることだ、と考える人と、ゲーム的なるものの本質を抽出して応用しようとする人にやっぱり分かれる感じがあるな。
たとえば英語学習に「いわゆるゲームっぽさ」を入れる場合、そのゲーム的なもの(なにかミッションをクリアするとか、なにかを育成するとか)と、「英語を学ぶ」ということに、ものすごく乖離がある気がするんだよなあ。。。
ゲームであれば、「っぽさ」はそのゲームにおける目的と完全に連動しているので、そういう乖離はない。だからうまくいくんではないか。「っぽさ」だけ借りてくると違和感がある。人によるのかな。
アクティブラーニングを誘発する条件は、authenticity, meaningfulness, personalizationということで、そうだと思うけど、さっきの「っぽさ」だけ借りてくる感じだと、とくに前2つが欠けるような気がしてならない。
#雑記
2018/11/16のtwitterより