飛躍
効率
僕の解釈では「飛躍」がよしとされているのではなく、効率がよしとされている。数学の本で式展開スキップされてる時、それは飛躍しているのではなく、節約されているのである。飛躍しているように思う人はその圧縮フォーマットを受信できる水準に達していないので自ら手を動かすことでデコーダを脳内に育てなければならない。 囲碁の初心者がとっつきにくいのはゲーム上重要な「生きているか死んでいるか」がこの圧縮思考で語られるところで、上級者が「死んだ」というタイミングで初心者はなぜ死んでいるかがわからない。しかしそれは飛躍しているのではなく、論理で全パターンを探索すれば生きる道がないことは自明なのだ。
並列
という話を妻にしたところ別のパターンもあるという話になった、それが並列 複数の話題が同時並行で語られる。「発話が直前の発話に対する返答とは限らない」を全員が共有していることによって単位時間あたりに行われる情報交換が効率よくなる。これもやはり効率。 これも前提を共有してない人からすると「話がつながってない」「話題があっちこっちに飛んでいる」となる
「一本の糸ではなく編み物を共有している」
「編み物?織物?」「面」
即レスは求めない、ある発話に対して即座に返答が返ってくるのことを全員が前提していないので発話したい内容を即座に発話することに障害が無い
逆に「発話は直前の発話に対する返信である」という前提を持っている人たちは、ある発話をしたら、それへの返信以外の発話が抑制されてしまう
これが「一本の糸」
一本の糸の人たちは「あっ、さっきの件に関して言いたいことがあるのに話題が変わってしまった」が起きる
しかしこの集団の中に「自分の発話に対して即レスがあるべき」と考える人が混じると、自分の発話に対してレスされないまま別の話題が話されることに自尊心が傷つけられる
チャットにおいてお互いに全力でアウトプットするコミュニケーションが成立する。読む速度の方が書く速度より速いから。
脳が全力で回転している状態を維持するために、産物は即座にアウトプットしたい、即座に出さずに記憶に止めると保持のためのコストが掛かるのでフル速度ではない
書きながら考える、と似たコンセプト
2021-11-17 Scrapboxはこの「一次元の糸ではないアウトプット」を保存するのに適している 一次元の文章 探索
探索を目的としている場合は繋がっている必要はなくたくさんアウトプットする。これはもちろん「繋がっていなくて良い」という前提が共有されているのだから話は繋がらない。もし前提を共有していない人が見れば「飛躍」しているように見えるだろう
この文脈では「飛躍」を肯定的な意味に使うこともあるかもしれない。飛躍のないアイデアは新しいアイデアではない、と。
「まず飛躍して、それから間が繋がっていることを確認する」という流れを想定している場合、最初から明らかに繋がっている案を出すのはくだらない行為
もう一つ書いた記憶のある図を探している
なぜこれなのか自分でも理解していない(飛躍)
なるほど、「話題が繋がっている」「話題が近い遠い」の尺度は客観的に共有されているものではなく、個々人の中に主観的に存在している
自分の主観的尺度に自信がある人は、それに従って行動する。だから『聞き手が「飛躍している」と感じるかどうか』を考えることに脳のリソースを使わない。一方自信がない人は相手の尺度に合わせて話そうとする。
自身の有無というより、それも「どういうコミュニケーションスタイルを取るか」というスタイルの違いで、たとえば自由に喋らせた時には他人が付いてくるかどうかを無視して話すような人でも、家庭教師をするとか誰かを説得しようとしているとかの場合には相手の中の理解度をウォッチしてそれに合わせた速度で話そうとするだろう。
事前的に「話題が繋がっているか」を考えるのではなく、まず「話題が繋がっているのかどうか気にしない」「そもそも話題が繋がっているかどうかは主観的なものであって受け手に内在するものだから不可知である」と考えてアウトプットして、受け手が繋がってないと思った場合には受け手が質問することで事後的に明らかになる、というスタイルがある。
後者の場合は受け手が質問してくれないと困る
後者の「主観的なものであって不可知」を「不可知ではなく色々な情報から推測可能である」と考えるタイプの人もいる。これは公理系の違い。 チャットボットを作る時それに対する評価のインプットとしていいねの個数とかを使ったらどうかというアイデアがあったが、これは評価尺度が外在している状態だな
一見違う話をしているように見えても、それは枝葉のパラメータが異なるだけであって、抽象化したら構造は同じだったりする
なのでやはり「何が違い話題か」の尺度は人によって異なっていて、エンジニアの知的生産術にも書いたと思うけど、アイデアを生み出す能力は一見関連のないものに関連を見出す能力と関連しているわけだ
関係あるかどうかわからないけど、「他人に興味がないけど他人に興味があるふりをしている人」という存在は面白い
なぜ「他人に興味があるふりをする」かというと、「他人は、おそらく他人に興味を持つ人の方を好ましく思うだろう」という推測をしているかだ。
発話をするということに、他者を前提しないタイプのコミュニケーション?スタイルがある
音声では僕はあまりやらないけど、文章だとやる。なぜかというと脳内の記憶よりもアウトプットした文章の方が持続するから。
ある発話に対して即座に返答が返ってくるのことを全員が前提していない
チャットボットを作る時それに対する評価のインプットとしていいねの個数とかを使ったらどうかというアイデアがあったが、これは評価尺度が外在している状態だな
これに関する話、とポイントすることができる。脳内の記憶に対してはこれができない。
全ての発話がポイントできるためには全ての発話にユニークIDが必要 リソースロケータ という理由によって聞き手が存在するかどうかと無関係にアウトプットすることには意義がある
たまたまそのアウトプットのフォーマットが会話の時のフォーマットと同じであるだけ。
人間のIOがへぼくて、その出力の仕方しかできない