自分が区別しているところにだけ注目してしまう
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ㄱ(ハングルのg)は語頭にある時に強く読みます。日本語話者はこれを「gが語頭ではkになる」と解釈することがあります
一方でㅋ(ハングルのk)はㄱとは区別される音です。日本語話者はこれを「強いk」と解釈することがあります
二つの言語の関係は対称なのですが、たまに「韓国語ではgとkを区別しない」という認識を持つ日本語話者がいます
もしそれをTrueとするなら、同様に韓国語話者から見て「日本語ではgとkを区別しない」もTrueですが、そちらはあまり注目しないようです
なぜこの現象が起こるのかを考えてみた結果
自分が区別しているところにだけ注目して、他人がそれを区別しないことが気になる
自分が区別してないものを他人が区別してるときは、その区別のことを気にしない
という非対称性があるのだなと思いました
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自分が使ってるプログラミング言語にない機能をもったプログラミング言語を見る時にその機能がくだらないものに見える話
自分が使ってる言語にない区別を持つ言語を見るときに、その区別がくだらないものに見えるのも同じ構図