積み上げる向きは人によって異なる
・構造的思考:最初にゴールまでの仮説をつくる
・アート:希少性のある部分に集中して、残りは最後になんとかできると思っている
・「なんとかする」が構造的思考からすると、稚拙に見える
https://gyazo.com/411f138cd97f414410fe8ac6d34a5de4
ネガティブケイパビリティ=不確実性が残っていても不安になりにくい個人の性質
経営者や企画者にとって、やればできる部分は議論しても意味ない、どうやろうと構わないんだけど、
やる立場の人はそれを議論しないといけない、議論しないと自分がやる際にひどい目に合うと思い込んでいるのですれ違いが発生してしまう
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で、そういう人が混じっていると話していると
「いまそれを議論する時期じゃないよね?」
「いまそれの実装を議論しても意味ないよね?」
「その実装を議論する時間があるなら、企画のコアについて話しをさせてくれ」
っていう風になってしまう
本人は真面目に議論をしているつもりだが、相手からは重箱の隅をつついているように見えてしまう で、結果として企画会議から実装者が外されることがある
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例えばポジショニング戦略にもとづいて企画を考えているときに、
他社と何を差別化するべきかについて議論するのは価値があるんだけど、
他社と何を同じにするのか、について議論しても意味ないわけよ
最悪、他社のコピーでできることは確定しているから、「最悪コピーでいい」で議論を終了させる
@hrjn: そもそもこれは構造的思考ではないよなーとは感じるな。 構造的思考は問題の方を構造的に理解するという話で、ソリューションをどうするかとはまた別なんだけど、ここがあまり区別されずに考えられがちだよなとは思う。 あと、やはり問題の構造かとソリューションの話は分けて考えるべきだよなーという気がする。経営がアートなままだと企業がスケールする上で問題がある気がする。
@nishio: 元の「『経営はアート』にしっくりこない人向けの説明」がしっくりこなかったのだが、この記事はすこし前進した感じがある。まだ自分の言葉で「あー、なるほど、つまりこういうことね」と言えるほどのしっくりはしてない @nishio: 例えばこれから半年間のプロジェクトをやるとなった時に「1月にはAをして2月にはBをして…」という計画を作る人がいたとする。この計画をポジティブに評価する人と、そうでない人がいる。 ポジティブに評価する人は「しっかり計画が立てれてていて良いね、あとはこの計画の通りに実行すれば目的が達成できるね」と考える。評価しない人は「これは現時点の貧弱な問題理解に基づいた机上の空論だ、プロジェクト進行中に得られる知識を活用できないダメな計画だ」と考える
「アート的経営者」を「積み木を下から積まずに中空の一番重要なパーツから置いている」と認識している人は、まずもって「積み木」に例えて「下から積む」と考えているわけだが、この「下」の概念が食い違っている。「アート的経営者」も下から積んでいる、最優先で検証すべき仮説から検証してる
「対岸に渡る橋を建てたい」という時に、まずCを作ってからAを作るのは「下から積んでる」のだが、橋を渡るイメージでA→Eの方向を暗黙に仮定してる人から見ると「下から積まずに中空にブロックを置いてそれから上下を埋めた」ように見える
https://gyazo.com/98a098cdd6e86aff50077fd65ad184e7
不確実性のないプロジェクトなら端から淡々とやれば良いので両者の意見は一致する。不確実性がある場合、思い込みで実行して後から「想定と違った」となった場合に行った作業が無価値になることがある。この確率を下げるために「最も不確実性の高いところからやる」人がいる。
これはアートではなくて、単に不確実性に対して合理的に計画を立ててるだけなんだけど、これをうまく言語化できないとか説明めんどくさいなと思ったとかで「経営はアートだ」という表現をするのかもしれない。
で、これを言語化して自覚的に行ってるのがharajuneの問題分析、「ここに橋を建てたい?なら柱が3本必要ですね」とやってるように思う。
@tokoroten: @4bata @nishio 西尾さんとはらじゅんのツイートを読んだうえで、 「概念設計をやってる場に、詳細設計の話をされても困る」
という感じで自分の中では落とし込めた
@nishio: @4bata @tokoroten 「概念設計」という言葉で通じるのかどうかはさておき、その二つは異なるフェーズであって、前者をやってる時に後者の話を混ぜると困る、という点は同感。 川喜田二郎も「計画には二種類ある」(渾沌本p.110)と言ってて、これは「構造の計画」と「手順の計画」を分けている 「もし計画通り実現した場合、どういう仕組みの事柄が成就したことになるのか、その構造を作り上げる計画である」「建築に例えれば青写真」「青写真が同じでも、手順の計画はいく通りもできる」
別の言葉だと「何を作るか(what)」と「どう作るか(how)」みたいに分けることもある。根底は同じだろう 「概念設計」と「詳細設計」なんだわコレ
詳細設計しかやってなくて、概念設計の経験が無い人には、概念設計は自分にはよく分からないアートに見えてしまう、という話
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「概念設計」はマーケティングリサーチやプロモーション、マーケットトレンドの強烈な制約を受ける
市場を見ないで製造を行うだけの「詳細設計」の立場の人がその「制約」を見ると、極めて不合理なものに見えてしまう
だから、それを「アート」と評して、自分の理解の外側に置いてしまう
不確実性がある場合、思い込みで実行して後から「想定と違った」となった場合に行った作業が無価値になることがある。この確率を下げるために「最も不確実性の高いところからやる」人がいる。
@wint7: agile のコアにある発想だけど、これ以上端的な説明はあるんだろうか?