男として扱われる日常
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2006年に刊行されたノラ・ヴィンセントの『Self-Made Man: One Woman’s Year Disguised as a Man』は、著者が18か月にわたり男性名“ネッド”として生活し、ボウリング・リーグ、修道院、営業職、ストリップクラブ、恋愛デートなど八つの場に潜入した記録である。目的は「男として扱われる日常」を経験的に観察し、男女双方のジェンダー規範を相対化することだった。(Wikipedia)
主な知見
1. 友情のあり方
男性同士の仲間入りは驚くほど温かく、互いの失敗を笑い合いながらカバーし合う協調が見えた。表面的な冗談や競争の裏に、実は深い連帯欲求が存在すると気づく。(NPR)
2. “男らしさ”の檻
勇敢さ・感情抑制・経済的責任を常に求められる圧力が強く、弱音を吐けないことが精神的負荷を増幅する。取材後に自身がうつ症状を抱えた経験が、その苛烈さを物語る。(BookBrowse.com)
3. デートのストレス
主導権を握る役回りは「誘い→支払い→評価される」の連続で、拒否される恐怖が大きい。著者は一時的に女性に対する苛立ちを覚え、視点反転の力を実感した。(NPR)
4. 職場と序列
ノルマや順位が常に可視化され、弱さを見せられない文化が自己肯定感を削ぐ。成功物語に隠れた「競争の消耗」を体感した。(Wikipedia)
5. 性的承認の場
ストリップクラブで多くの客は単なる興奮より“受容される感覚”を買っていると理解。男性の孤立と承認欲求の結節点が見えた。(eBay)
帰結とインパクト
ヴィンセントは「家父長制は女性だけでなく男性も傷つける」と総括し、双方の解放には相互理解が不可欠だと訴えた。また、欺瞞を用いた参与観察の倫理やサンプルの偏りが批判点となり、男性学・フェミニズム双方で活発な議論を呼んだ。ジェンダー役割を“体で知る”試みとして、現在も男性性研究の重要な一次資料と位置づけられている。(Wikipedia, BookBrowse.com)
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知ったきっかけのTweet
shioshio38 ノラヴィンセントという作家の体験が参考になるかも知れない。
レズビアン女性で男装して、男性社会に入ったノラヴィンセントは当初、男性として生きるのは特権に囲まれて楽に違いないと思っていたが、実際に入ってみると次のように感じた。
> 男性としての人生は、熾烈な競争にさらされており、誰かが世話したり構ってくれたりすることはなく、自分の存在価値を自分自身で証明しなければならないことを発見して衝撃を受けたのだ。
> 集団内では、個人としての男性は他の男性と競争しあっている。他の男性との競争に勝てば富や権力や名誉などの報酬が得られて繁殖にも成功するが、負けてしまうと、手元にはほとんど何も残らず繁殖をすることもできない。前回の記事でも書いたように、フェミニストたちの考え方の問題点のひとつは、社会で成功を収めたこと富や権力を握っている「上」の立場にいる男性ばかりを見てしまい、「下」の立場にいる男性は目を向けない、というバイアスがかかっていることだ。そのため、男性内に競争が存在するという事実、そして競争に負けて惨めな状態で生きる男性たちが数多く存在しているという事実を考慮することができなくなっているのである。
『男にいいところはあるのか?:文化はいかに男性を搾取して繁栄するか』 - 道徳的動物日記