新概念の伝播
2021-11-23 リンク先は課金なしでは見られなくなっている。半歩先を読む思考法 p.42に元の図がある。 https://gyazo.com/7f548298e5065bde88e1964cb940f9df
ある人(発信者)が既存の知識Bから、一歩進んだ知識Cを思いついたとする
時間は限られているので、新しく生まれたものについてだけ情報発信する
その知識Cを受け止めるための知識Bを持っている人は、それを理解できる(理解者)
また、Cを受け止めた上で、別のDを提案できる人もいる(発展的議論)
一方で十分な知識がないまま、Cを天下り的に信仰する人もいる(意識の高まり)
https://gyazo.com/4e138d48a8c4d7d8cd0cc8f7129a2a4a
1: まず「そういう地に足のついていない考え方は良くない」って反発する
2: 彼らはBまでの知識の積み上げがあるから本来はCの理解者になるはずだが、先に感情的な反発をしているので、
3:「BとCは違う」で思考が終了する
彼にとってBは地に足のついた知識であり、Cはついていないのだから、Bが正しいと考える
もしくは、嫌いなものが否定できればそれで満足であり、議論の発展に関心はない
彼らは孫引き情報ではなく原典に当たると良かったのだが、その態度を持たないことによって損をしている 「人格否定」は
1: 異なる分野での知識の積み上げがあって、それに自信を持っている。
2: 知識Aの積み上げがないので「Bか?Cか?」という議論になるとよくわからないのだが、その状況に不満を感じる
3: そこで「Cを天下りしている発信者は悪だ」という反発の仕方をする
天下りで知識を信仰している「意識の高まり」の人ではなく発信者に反発するのは、嫉妬が原因 「意識の高まり」の人たちと違って一応他の分野での知識の積み上げはあるわけだからね。
ということは、ある分野での知識の積み上げがあるとしても、「わからないこと」に取り組むという知的訓練が足りていないわけなので、似非インテリと呼ぶことにも一理ある。 関連: 博士号は分野を問わない 個人的にはそのラベルの貼り方は人格否定合戦に繋がるのではないかと懸念するが。
落合 陽一 2019年1月17日
書いた(議論歓迎
なぜSNS上で文脈にそぐわない切り取られ方をされて燃え始めるのか考えてみた(随時更新)|落合陽一|note
Nishio Hirokazu
ちょっと抽象度が足りなくてよくわからない感(多分僕がこの議論の前提となる「炎上の事例」を詳しく知らないことが原因)
AとBは図の上では「発信者が言語化していない暗黙の前提」で、その前提を共有していない人が誤解したりする話だと思ったのだけど、なぜAとBに分けたのかの意図・文脈がわからない。
落合 陽一
Bは素人さんがよくいう直近の事例みたいな感じ
Nishio Hirokazu
Bが「素人さんがよくいう直近の事例」で、Cが「(Bだとよく言われてるけど、少し思考を発展させると)Cだ」という主張なのだけども、何が発展したのかよくわからない人たちが緑で、「Cだ!」って騒いでる紫の人に対して「Bを前提としてC」だとわかってるオレンジの人がムッとしている構図?
落合 陽一
それです
Nishio Hirokazu
意識高い人を見て、「意識高い嫌い」の人は、1: まず「そういう地に足のついていない考え方は良くない」って反発する、2: 彼らはBまでの知識の積み上げがあるから本来はCの理解者になるはずだが、先に感情的な反発をしているので、3:「BとCは違う」で思考が終了する
人格否定の側の人は、1: 彼らの異なる分野での知識の積み上げがあって、それに自信を持っている。2: 彼らにとってよくわからない「Bか?Cか?」という議論になると何も判断できないのだが、その状況に満足できないので、 3: 「Cを天下りしている発信者は悪だ」という反発の仕方をする
こういう理解で合ってる?
落合 陽一
そういう感じです
Nishio Hirokazu
なるほど、今回のこの事例自体をこの枠組みで考えてなかった(重点が後半にあると思っていたので)
今回の事例をこの枠組みで考えた場合、発信者が言ってない情報は「知識はピラミッド状に積み上げられている」
物事を理解するのに前提知識が必要であることは「いうまでもなくわかるだろ」と思っても仕方ない
AとBの違いに関しては「若干ニュアンスが違うかもしれないな」と感じるが、自分の理解に基づいて描いてみた