「わからない」と言うことが怖い
2019-01-07
「わからない」と言うことが怖い現象に2パターンある 学校教育の多くで「わかる必要があること」があらかじめ決まっており、それがわからないことはネガティブなこととされる
家庭環境や学校環境での不遇などによって「わからない」と表明することに恐怖を感じるように学習してしまっている
「わからない」が「自分は劣っている」と同一視されていて、表明することが怖い
自信があって、「わからない」と言うのが怖い
怖さを本人が自覚していない
自分の得意分野での成功や、会社組織内での昇進によって、無意識に「優れた人」と言う役割を演じるようになる 「特定分野で優れた人」だったはずが、いつの間にか「全分野で優れた人」を演じるようになる
繰り返し演じたパターンに自分自身が囚われる
「わからない」と言うことを忘れてしまう
博士号はどの分野であっても「すでに誰かが解き明かしたこと」ではなく「まだ誰もわからないこと」に対して取り組み、結果を出し、その結果を他の専門家からディフェンスする必要がある。なので「わからない」を自覚し、何がわからないのかを言語化することは必須である。
なので以前は「前者の思考パターンの人が、博士課程やプログラミング、実験科学などの訓練によってその思考パターンから解き放たれる」という認識をしていたのだが、今回この記事を書くきっかけになった事例は博士号を持っているだろうと思われる人によって行われていて、なんでなのかなぁと思った。考えた結果「自分が万能ではないということを認めるのが怖い」ということなのかなぁ、と。
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