拡大解釈後に見出された関係は元の概念との関係とは限らない
https://gyazo.com/20e85a90b0c2cc7de6f6ff7e1f3e24aa
Aさんが概念Xについて語る
時間が経つとともにそれが拡大解釈される
Bさんが「拡大解釈された概念X」と概念Yの関係Rについて語る
後から見た人が「Bさんが『Aさんの語った概念X』とYの関係」について語った考えて混乱する
Aさんが概念Xを作って、時間が経ってからBさんが概念Xと概念Yに関係があると主張したとする
「概念Xと概念Yに関係がある」にAさんが同意するとは限らない
この時「Aさんの考える概念X」と「Bさんの考える概念X」はイコールではない
この二つの異なる概念を両方「概念X」と呼ぶことによって混乱が起きる
なので「アリストテレスの形而上学」の段階で、それと唯物論は関係してない
紀元前322年没のアリストテレスの考える
17世紀の唯物論
この二つの間にはキリスト教の隆盛というでかいイベントがある
ライプニッツは...同時に、自然学において目的因を認めない機械論的哲学や原子論を、敬虔であろうとする姿勢にとって危険なものとした。
つまりライプニッツは「神が目的を持って世界を作った」の立場に立って「世界が超越者の目的なしに存在するという考えは敬虔じゃない」って批判してるわけ
キリスト教より前のアリストテレスの考えと同一視したら混乱が広がる
「形而上学」と言う言葉自体もそう
西周?が「metaphysics」に易経の言葉を流用して「形而上学」という名前をつけたからといって、アリストテレスや中世の哲学者がmetaphysicsと易経との間に関連があると考えていたということにはならない
アリストテレス(BC前384-322)は名前のついていない「存在とは何か」についての断章を書いた
AC30年頃アンドロニコスが整理し、『タ・ピュシカ』(ta physika、自然についての書)の後に置いた
名前がなかったので「後の」を意味するメタがついて『メタピュシカ』と呼ばれるようになり、後の時代にmetaphysicsになった
関連があるという哲学的主張をしてる哲学者は居るのか?
関連
デリダ後に脱構築という論法を自分の分野で援用する論者が増えた?
よくある/villagepump/sta.icon
ググって出てくるブログ記事あたりは大体Bさん側という印象
やはり原典の確認が大事か
原典を確認するのはコスト高いからいつでもやるわけじゃないけど、Bさんの書いたものを読んで「は?意味わからないんだけど?」となった場合に、その理解の対象が深遠だから難しいのではなく、単に時間経過で概念がぼやけたせいでリンクがつながらなくなって意味不明になってるケースがあるよなーという気持ち/villagepump/nishio.icon
Aさんの意見とBさんの意見は当然別物なのだが、同一視してしまったり、Aさんの威光でBさんの意見まで過大評価したりする
自分が知りたいのがAさんの意見なんだったら、Bさんのことは無視してAさんの話を聞いた方がいいよね