思考の結節点2024-02-02
「雑メモです」と夕食を食べる友達にシェアしたら「本当に雑ですね」と言われた
ミールチケットで飢えることはないとしても、ミールチケット1枚でしょぼいラーメン、3枚でチャーシューマシマシとかになるのでは
ミールチケットを複数枚行使できるシステムかどうかは微妙だな
紙幣のように匿名で物理的に移転可能なトークンを仮定している
例えばマイナポータルに朝食券が来て、それを店の人に見せるとその場でバーンして食事が提供される的なシステム、12時までに使わなければ失効、とかなら蓄積は不能
ミールチケットが蓄積できて高価なものと交換できたら仕様バグだと思うよ、ITエンジニアとしての意見です
それはさておき、過渡期においてミールチケット1枚で普通ラーメン、500円追加でチャーシューマシマシ、という形はあり得ると思う
ミールチケットの導入タイミングで市場経済を殺す必要はない
「ちょっと良いものを食べたい」という「必須でない娯楽」のための支払い
そのトッピング市場は当然発生する、しかしミールチケットで食べられるラーメンの質がだんだん向上するにつれてシュリンクしていく
「現在の資本主義」と「ユニバーサルベーシックインカムの世界」が0か1かで切り替わるのではなく、なめらかに推移していく
自分の本体はどこか
物理的アバターの髪を金髪にしたりしろと言われてもなー
物理的身体のことを割とどうでもいいと思っている
そういうことを言ってくる人と僕とで認知や価値観が異なってるのだなぁという気持ち
同じである必要性を感じないのでニコニコしながらスルー
本体はアウトプットした情報
Q: でもそれでは「楽しい!」的な感情はないのでは?
僕が深夜にテンション上がって書いた文章と、同じ内容をAIが書けるようになったとき、他人から見たら「楽しくなってる」と見えるのでは
自分からの観察は自分が死んだらなくなるもの
自分がアウトプットしたものは自分が死んだ後にも残る
長期的に見たら後者だけが自分
子供の寝顔を見て幸せという話
それはいいことだと思う
僕は人生においてそれを得ることはないだろうから僕から見たら調達不能なリソース
幸福感を感じるソースはたくさんあった方が良い
一方で「幸福感」は個人に帰属するリソースであって死とともに失われるもの
長期的視点で文明の立場から見ればさざなみのようなもの
ゲームをする人、しない人
小説を読む人読まない人
娯楽の一要素
楽しみのソースはたくさんあった方がいい
「Xをしない」という人に無理にやらせる必要はない
「あなたはXから楽しみを得られない人なのですね」というだけのこと
これを言われると見下されたと感じて起こる人もいるので、言わない
僕自身はスポーツ観戦から楽しみを得られない人なので、友達がサッカー観戦で本当に世界中を飛び回っててすごいなーと思う
その遊びから友達が生まれてるのも有益そう
一方で友達を作るためにたの楽しくもないスポーツ観戦に行くこともできない
なのでこれはコントロールできないこと
たまたまマーダーミステリーは面白くて、しかも誘ってもらえてて、それによって友達が増えているのでとても良い 結局のところ何かに興味を持ってそれを追いかける行動は世界を広げる
プログラミング言語のことを深掘りするのもそうだった
人を誘うときは逃げ場を作る
「この日できますか」「この日は無理です」はOK
「あなたとゲームしたい、いつが空いてますか」は逃げ道がないからNG
マーダーミステリー
サイコパス率が高い説
犯人になると辛い人がいる
そういう人は呼びにくい
マーダーミステリー自体がサイコパス向きなのでは
「サイコパス」という言葉の使い方が過激
犯人にならなくても「犯人ではないかと疑われる」ということは起こる
それを辛いと感じる人は向いてない
マーダーミステリーに対して主観的に「空気を読まないといけないのが辛い」という人がいる話
空気を読んでるか?
どっちなのかな
「空気を読めない西尾が楽しめてるのだから空気を読む能力はいらんやろ」
「西尾が楽しめてるのだから西尾は実は空気読めるのでは」