思考の結節点20201220
自己認識としては8:0:0:2くらいだと思ってた
かなり過激な達成主義者
人生の時間が有効に活用されたかどうかは行われた「達成」によって測られる、と無意識に考えている
一方で観測事実としては、前回の東日本大震災の時も、今回の新型コロナの時も「著しいパフォーマンス低下」が起きている
周囲ではこの緊急事態に対してアクションを取ろうとする人たちがいるので、達成至上主義ならプロジェクトに参加するのが自然なのに、現実の自分は断り続けている
なぜなのか?
もしかしてこういう現象なのでは?
将来の予測可能性が低い状況になる
→ストレスや苦痛を回避しようという欲求が跳ね上がる
→そちらに欲求の源になるリソースが食われて、2:0:0:8になる
自分の欲求構成比率が変わったことに無自覚なので、今まで通りのことをしようとし、成果を今まで通り「達成の量」で測ろうとする
しかし達成欲求が激減しているので、達成の量も減ってしまう
なぜできないのだろう?ストレス?在宅勤務環境の問題?などと考えていたが、プロセスではなく欲求という心のエネルギー源問題だったのでは
この解釈は納得
「そもそもこのプログラム作る意味ってあったんだっけ」「そもそも人命を救う必要ってあるんだっけ」「そもそも何のために生きてるのだろう…」という状態
11/10に「最近長期的な計画で行動するのが苦手になった」と発言して「元からでは」と突っ込まれた Facebook この時考えてたのは「今使ってるプログラムをどう改善するか、今やってる研究をどう発展させるか、が考えても思いつかなくなった、それはなぜなのか」ということ
この具体的な行動は新型コロナ以前はできていた
それを「長期的な計画で行動すること」と解釈したところに認知の歪みがある
これらの具体的な行動は下記のプロセスで行われていた
1: 作り上げたいもの、知りたいこと、達成したい状況がある
2: それを達成するための具体的なプランに分解する
3: そのプランを目的達成のために実行する
達成欲求が本人無自覚なまま激減すると、当然このプロセスも「なぜかうまくいかない」となる
「そもそもなんでこれを達成したいんだっけ?」となってステップ1が止まる
「ストレスによってプログラミングができなくなってるというわけではなさそうだな、競技プログラミングのレーティングは順調に伸びてるし」と思ってた
競技プログラミングは「具体的な問題」が与えられる環境なのでステップ1がなくても動く
謎は解けた
今後の問題
この状況を変えるためのネクストアクションは何か?
そもそも僕は自分の達成欲求ドリブンで自走するので、指示を出さなくても成果を出すからということで仕事で何をやるかに関しての裁量が大きい これは一方で「何をやるか自分で決めなければならない」という環境
この環境は回避欲求主体の人にとっては辛い
回避欲求主体の人は、最低限やらなければいけないことだけをやって、後は遊んで暮らしたい
窓際で毎日マインスイーパするおじさんのイメージ
「やるべきこと」は外部から与えられて欲しいし、なければない方がいい
しかしマインスイーパおじさんをやることは僕にとって苦痛
人生の価値の計測尺度が達成なので、達成に繋がらない時間の過ごし方をすることが強い罪悪感
あれ?ストレスを回避したい回避欲求によって成果が出なくなって、それが罪悪感というストレスになってたら欲求不満になるのでは?
これ達成欲求的行動が出来ず、回避欲求的行動も回避欲求を満たさない、という板挟み状況では…
妻に相談した時に「ちゃんと食べて寝てたら満点」「仕事の評価は上司が決めるから気にしなくていい、クビになってないのだから大丈夫」的なことを言われて納得いってなかったのだけど、これは回避欲求的な人生の評価軸を提示されて、達成欲求的な僕が受け入れかねている状況だな