形式知化は不可能では?
from 知識や社会関係を蓄えるにはメンバーシップ型雇用が必要では?
形式知化は不可能では?
nishio 知識資本や社会関係資本を会社の中に蓄えるには、必然的にジョブ型ではなくメンバーシップ型の雇用にならざるを得ないのでは?
nishio 昨日のこの話について一歩考えが進んだ。組織のメンバーの体験したことが「適切に言語化されて形式知に変換されるなら」それは組織内に蓄積できる。ではその「適切な形式知化」とはなにか?可能なのか?と考えて「いや不可能なのでは?」となったと言うこと
nishio もう少し補足すると「形式知化してストックすることが理想であるが、それを実行するためにはメンバー個々人に相応の言語化能力と落ち着いて言語化に時間を割ける勤務制度が必要であり、そんな理想が実現できてる組織はほとんど実在しなかったのでは。少なくともLLM以前は」という感じ
nishio 「適切な形式知化」とは何か?それは「あなたが経験したことに関して、将来その知識が必要になった他人が、あなたに質問することなく知識の再利用ができるように文書などを準備しておくこと」なのだけど、かなり難しいよね。人は「されてない」時に怒りがちだけど、自分はそれができるのか?
nishio そうなると「質問に答えられる存在」を必要に応じて都度調達コストを払って市場調達するか、内部化して調達コストを下げるかの選択になる。前者が例えばコンサルを雇うことで、後者がメンバーシップ型で社員を雇うことになる。将来的には「質問に答えるAI」を持つことになるだろう。