当たり前を言葉にする
「当たり前だから言わなくても伝わっているはず」は仮説に過ぎない
考え方が似た人だけで集まっていると、言わなくても伝わるような誤解をしてしまう
人間の考え方は多種多様なので、自分の考えは言わなければ伝わらない
「当たり前だから書くまでもない」と思っていることも、あえて書くことで理解の抜けに気がつく 書くというアウトプットによって、自分の理解が検証される
書くことによって、その書かれたものに対して批判的思考が行えるようになる 書いて、批判的に考えてみると、意外と当たり前ではなかった、という事後的な気づきがある
ある人が、ある文章に対して「当たり前だ」と言ったとする
それは「その人にとってすでに慣れ親しんだ概念であった」というだけに過ぎない
その人の経験とその文章の間に高い整合性があるってことだから、客観的にみるとポジティブ
逆に、何かに対して「Xだと考えるのが当たり前なのになぜそれに反しているのだ!」と怒る
観測事実は「当たり前ではない」を示唆している
主観的に「当たり前」と考えているに過ぎない
逆に
「当たり前でないことを書こう」とすることによって「奇をてらったもの」になるバイアス