廃藩置県とザ・フェデラリスト
廃藩置県とザ・フェデラリスト
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比較の視点: 中央集権化と多様な利害の調整
廃藩置県(1871年)
旧藩を廃止し、地方行政区画を県(府県・藩→県)として直接中央政府の統制下に置いた。
藩主(大名)の権力を削ぎ、中央(明治政府)へ権限を集中させることで、新政府の統治体制を確立しようとした。
明治維新期の封建制から近代国家への移行という大きな変革期に、地域の自治権よりも統一的な国造りを優先した。
マディソンの『フェデラリスト10番』(1787年)
アメリカ合衆国の憲法批准を説得する論文の一つで、最大の論点は「派閥(factions)の害をいかに制御するか」。
大きく多様な共和国(federal republic)をつくることで、一部の派閥が全体を支配しにくい構造を作り、利害を相互に競わせる形で政治的安定を図ろうとした。
中央集権というよりは、連邦制下で権力を分散させつつも統一性を保つというアプローチであった。
共通点と相違点
共通点:
どちらも国家としてのまとまりや統治の安定を模索した点は共通する。
相違点:
廃藩置県は、封建的な地域権力を一気に解体し、中央政府への権力集中を目指した。
マディソンは、派閥間の競合を前提とし、多様性を温存しながら大きな連邦共和制によってバランスを取る考え方を示した。
総じて、廃藩置県は急速な中央集権化による統合をめざしたのに対し、マディソンの理論は連邦制下の分権と多様性の競合による安定を重視したといえる。