幸運の信仰
2018-09-16
タイトルは仮
かならず期待通りの結果になるという幸運
かならず上手くいくという幸運
きちんと外界を認識しているならすぐになくなる
後者は期待通りにいかなくても、常に「上手く行っている」と認識する
「私は失敗したことはない」
期待通りにいかなくても「なるべきようになっている」
不運によって自分が不必要なコストを負ったとは考えない
常に「得た」と認識している
「期待通りにならない」ということは「期待通りにならないということを知った」という学びである
行動の結果が、常に「得た」になるので、行動が強く促される
現実には不運によって意味なくコストが発生することはあるだろうが、そう認識しない認知の歪み、ある種の公正世界仮説 2024-08-26
不運によって自分が不必要なコストを負ったとは考えない
「成長の機会」というプラスのものを得たと思っている つまりランダムに等確率でプラスとマイナスの結果が得られる時に、科学的には期待値がゼロだとしても、認知の歪みとか線形でない評価軸によって、マイナスのものの一部がプラスに変わると、主観的には「平均的にプラス」になる 科学的には期待値がゼロであってすらそうなのだが、実際にはおそらく「不確実性がある時にマイナスの方を大きく見てしまう人間の認知の歪み」によって、不確実性のある行為のリターンの推定値が不合理にマイナスにズレていて、それによって競争的リソースは人々が合理的に振る舞った場合よりもたくさんそこに残される
その結果、マイナスがプラスに見える認知の歪みを持った人は、マイナスが大きく見える認知の歪みを持ったマジョリティが手付かずに残したリソースを低コストに得ることができる