巧遅は拙速に如かず
巧みだが遅いやつは、拙くて速いやつにかなわない
兵聞拙速、未賭巧之久也
兵は拙速を聞くも、未だ巧みの久しきをみざるなり
夫兵貴拙速。未聞巧遅。
完璧な方法でやろうとして遅いよりも、拙い手法で早くやれ、的な意味で使われる
一方孫子の方は「拙くても早くやった結果成功した事例はたくさんあるが、完璧を期して長引かせた結果成功した事例はあまり聞かない」というもの
これはニュアンスが違うという指摘もある
一定の勝利を収めた後に(これが拙の意)、さらに戦争を継続し新たな戦果(言わば追加的利益)を得るべきか否かという二者択一の局面に際しては、目先の利益や感情に振り回されての軽挙妄動は厳に慎み、究極の目的はあくまでも自国保全にあると弁(わきま)えて、不十分な勝利ではあるが鉾を収め、(戦争を手段とする)政治目的を速やかに達成すべし(これが速の意)、ということになる。
その根底には「戦争というものは、あたかも燎原の火の如き性質を持つものゆえに勝利に酔い痴れて調子に乗り欲望の赴くままに振る舞っていると最後はみずからをも焼き尽くしてしまうものである。そのゆえに、ぐっと堪えて踏み止まり、適当なところで鉾を収めることが最も肝要である」の思想があることは言うまでも無い。...
これを戦術的側面から曰うものが、『餌兵には食らうこと勿かれ』、『佯(いつわ)り北(に)ぐるには従うこと勿かれ』<第七篇 軍争>であり、一定の勝利を収めたからといって奢り高ぶり勢いと欲望に任せての深追いは敗北の因と曰うのである。...
つまり、前者の拙速は「とにかく速くやっつけちゃえよ、古人も兵は拙速を貴ぶと言っているではないか」の意に、後者の『拙速』は、『(群雄割拠・弱肉強食の時代ゆえに)一つの敵に対して一定の勝利を収めたら(徹底的な勝利を追求することよりも)ぐっと堪えて戦争の終結を作為し、本来の政治目的を速やかに達成して国力の保全と増強を図り、周辺に割拠する多敵の侵略に備えた方が賢明である』の意となる。
つまり、孫子の曰う『拙速』とは、老子の曰う「足るを知る」、あるいは「止(とど)まるを知れば殆うからず」と同意と解される。まさに老子の思想を軍事に応用し、言い換えたものが『拙速』ということになる。彼の武田信玄は『合戦における勝負は、十のものならば六分か七分に止めて退くこと、それで十分な勝利である。勝ち過ぎぬように』と戒めている。八分の勝利はすでに危険、九分、十分の勝利は味方が大敗を喫する下地となる、と曰うのである。孫子の曰う『拙速』の何たるかを見事に論じている。 「遠征しての戦争は長引かせると兵站も保たないし、国の経済が破綻するぞ」って話でしかない
戦術ではなく兵站や国家経済という戦略的・計画的な視点を持ちなさいという話であって、むしろ「雑でもいいからどんどんやれ」とは逆ですよ逆。
「戦が長期化して国の利益になったためしはない」ということが主であって、「兵は拙速なるを聞くも…」だけ切り取ったらアカンやつ。そもそも「巧遅」とか書かれてねーし。