川喜田二郎の教育と民主主義の関係
from 川喜田二郎の民主主義論
川喜田二郎の教育と民主主義の関係
教育と民主主義の関係
川喜田二郎は、民主主義社会を支えるには教育の在り方が極めて重要だと考えました。特に大学教育に対して強い危機感を抱き、1960年代末の学生運動の高まりの中で既存の教育制度の限界を感じ取った彼は、「移動大学」という革新的試みを1969年に開始します。これは大学を飛び出し、社会と直結した学びの場をつくる実験で、高等教育と研究を一体化した「探究活動」として位置づけられました。
移動大学では、キャンパスを持たず参加者自身がテントを張って共同生活をしながら学びます。第1回(1969年8月、長野県黒姫高原)では2週間の合宿形式で行われ、108人の参加者が6人一組のチームに分かれて与えられた課題に取り組みました。 ここでは大学生だけでなく、社会人や様々な背景を持つ人々が集い、現実の問題を題材にフィールドワークと討議を重ねたのです 。黒姫で提示された課題は環境汚染など当時社会が直面するテーマで、参加者たちは自然の中でゼロから協力し合い、創造的に解決策を探りました。
川喜田が移動大学で目指したのは、教育によって単に知識を伝達するのではなく、民主主義社会の担い手となる人間を育てることでした。そのために彼は、現代文明が抱える「三つの公害」――物質的な公害(環境問題)、精神的な公害(無気力や疎外感など人間性の荒廃)、組織的な公害(官僚的で硬直した組織の弊害)――に同時に向き合う教育を構想しました 。移動大学では環境問題という具体的課題に取り組みながら、参加者の精神的充実を図り、さらにチーム編成によって人間関係や組織運営の健全化にも取り組もうとしたのです。これは教育を通じて環境・個人・社会組織の調和を取り戻し、健全な民主社会の基盤を育もうとする野心的な試みでした。
川喜田は「人間は創造的行為の実践を通してこそ全人的に成長し、人間らしくなれる」という信念を持っていました。教室の中だけで与えられた知識を学ぶのではなく、未知の課題に自ら飛び込み、試行錯誤しながら何かを成し遂げる経験こそが、人を成長させると考えたのです。この思想は、アメリカの思想家デューイの「民主主義と教育」に通じる経験学習の重視でもあり、川喜田はそれを日本の文脈で実践したと言えます。
実際、移動大学では参加者が一つのプロジェクトを最初から最後までやり遂げることが重視されました。川喜田は「課題が人びとを結ぶ」と述べ、共同の達成課題を持つことがグループの連帯感を生む絶対条件だと断言しています。各人が「自分にとって初めての有意義な仕事を自分の力でやり遂げる体験」を持つことが決定的に重要であり、そうした創造的な成功体験が個人の活力を引き出し、人間的成長をもたらすと説きました。これは今日でいうプロジェクト学習(PBL)やアクティブ・ラーニングの先駆けとも言える考え方で、川喜田はそれを単なる教育手法ではなく民主主義を支える人づくりとして位置づけていたのです。
さらに、川喜田の教育観は市民教育にも波及しています。彼の唱えた「参画社会」実現のためには、学校教育だけでなく社会全体で学び合いの文化を育てる必要があります。移動大学には大学の枠を超えて一般の社会人や地域住民も参加できたため、学校教育と社会教育の橋渡しとなりました。そこで培われた「自ら考え行動する態度」や「対話による協働能力」は、そのまま地域コミュニティでの自治活動や職場での組織運営にも活かされ、民主主義の土台を強化する効果がありました。
川喜田の教育に関する提言は、当時は異色の試みでしたが、その後の教育改革や生涯学習の流れの中で再評価されています。現代では「正解のない問題に取り組む探究学習」や「地域と連携した教育」などが推進されていますが、川喜田はまさに数十年前にそれを先取りしていました。彼の移動大学の理念は、「大学を閉ざされた場所から開かれた公共の学習の場へと変える」ことであり、これは教育を民主化する発想そのものです。教育と民主主義の関係について、川喜田二郎は教育を民主主義の縮図とみなし、参加と創造の教育によって成熟した民主社会を築こうと提言していたと言えるでしょう。
ref.
創造性はそだてられるのか?川喜田二郎〜私たちの教育のルーツを辿る(6) - こたえのない学校
創造性はそだてられるのか?川喜田二郎〜私たちの教育のルーツを辿る(6)