大事なことは何度でもいう
昔、色々な技術イベントでプレゼンをしていたころ、「他人のネタとかぶってはいけない」という強迫観念を持っていた。
その後、じっくりと時間を取って物事を教えるようになって「自分が『みんなは当然知ってるだろう』と思っていることを意外と多くの人は知らない」と痛感するようになった。 「当然知ってると思うこと」を省き、「他の人も語りそうなこと」も省いて、新しく生み出した部分だけ語るのは、
桜の木の、根を捨て、幹を捨て、新しく咲いた花だけちぎって渡すようなもの。 #たとえ 一時的には「花を観賞する」という役割を果たすだろうが、根付いていないのですぐに枯れる。
長期的に有益な「花を咲かせるシステム」として機能しない。
そもそも人間は、一度聞いただけで身に付くものではない。大事なことは何度も繰り返して身に付ける必要がある。
だから、重複を恐れるのではなく「大事なことなので何度でも言います」の姿勢が大事だと思う。
関連
いろいろな知識と整合性をもってつながりあっている知識が正しい知識である、という整合説 参考にした文献には可能な限り言及すべきだと思う。
そうやって多くの人から言及されることによって、良いものがきちんと可視化されることが長期的に有益である
参考にした文献の忠実なコピーであろうとするべきではない
忠実なコピーは、図書館に行って複写依頼すれば手に入るもんなので、わざわざ人間がやるべきではない
自分の感性に基づいて取捨選択、追加の説明、図解などをやることによって付加価値が生まれる
その付加価値の良し悪しは世の中の人が評価する。評価されなければ人は引用元の方に言及する。それでよい。
参考にしなかった文献に、事後的に類似点があった場合
独立に複数の人が似たことを考えるということは、この考えは重要なんだ、と主張する
その文献が有名な人のものだった場合
事前にその文献の存在に気付かなかったことは、僕の到らない点である
一方で、読者の大部分もその文献に気付いていない
そのテーマについて執筆する程度には詳しい僕が事前に発見できなかったのだから
自分が独力でその有名な人と同じ考えに到ったことには自信をもってよい
なので堂々と自分の考えを語ってよいし、過去にそれに類似した有名人の書物があることも堂々と紹介してよい
(具体的には執筆終盤になって、アインシュタインが似たことを書いていたのを発見した)
具体例