夏のセミのたとえ
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いきさつ 2018-03-11
@kensuu のリツイートで流れて来たTweet
嫌われる事に慣れろ。ポジション取れば100%嫌われる。誰だって嫌われたくはないが避けられないんだから嫌われたくないと思う事自体無駄だ。気にせずポジションを取れ。ポジションを取らなければ嫌われもしないが好かれもしない。敵もできないが仲間もできない。人生で大切なのは百の敵より一の仲間だ。
これ、経験した我々の間では「そうだよねー、あるあるー」みたいな共感があるのだけど、嫌われることを恐れてポジションを取らない人はこの表現では共感しないと思う。
僕はこの種のことを「夏にセミがうるさいのと同じ」と表現している。
夏になるとセミが鳴いてうるさい。これは毎年繰り返されている自然現象だ。 同じように、何らかのアウトプットをして注目を集めると、それに対してネガティブなことを言う人が現れる、これもたびたび繰り返されている自然現象だ。 セミがうるさいからと言って、1匹1匹殺して回っても、全然静かにならない。労力に見合った効果は得られない。
同じように、ネガティブなことを言う人に、たとえば「それは誤解に基づいて批判していますよ」とか「あなたの主張のこの部分はおかしいのでは?」とか返して行っても、なかなか静かにはならない。労力に見合わない。
ネガティブな人が現れるのなら、注目を集めるような行為はしない方がいいのではないか、と思う人がいるだろう。で、そういう考え方がもったいないと考えている人たちがいて、だからこうやって繰り返し色々な表現で説得しようとしているのだと思う。僕の説得の仕方はこう。
「夏にセミがうるさくて、セミを静かにする方法はない。じゃあ、あなたはどうします?夏の間セミの声の聞こえないところに引きこもります?」確かにセミはうるさいけど、そういうもんだと受け入れたら、すぐに慣れてどうでもよくなるよね。毎夏セミの声におびえてる人なんていないでしょ。
これを踏まえて冒頭の文章をもう一度見る。
嫌われる事に慣れろ。ポジション取れば100%嫌われる。誰だって嫌われたくはないが避けられないんだから嫌われたくないと思う事自体無駄だ。気にせずポジションを取れ。ポジションを取らなければ嫌われもしないが好かれもしない。敵もできないが仲間もできない。人生で大切なのは百の敵より一の仲間だ。
ぼくなりの表現では「セミがうるさいことに慣れろ。夏になれば100%セミがうるさい。うるさいのは嫌だが避けられないんだからうるさいと思う事自体無駄だ。」となる。
備考
セミはすぐ死ぬ
落ちてるセミが死んでると思って近づいたら急に暴れ出したりしてびっくりするので注意