参加型アートの暴力性
from p2025-04-16
参加型アートの暴力性
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プロセスを重視する芸術の思想的背景には、1960年代以降の現代美術の潮流がある。ハプニングやフルクサスといった前衛運動は、鑑賞者と作品の垣根を崩し、芸術を日常生活の出来事へと開放した。アラン・カプローは1950年代末から観客参加型の「ハプニング」を次々と企画し、「芸術と人生の区別を解体する」ことを志向した。こうした流れを踏まえ、美学理論家ニコラ・ブリオーは1990年代に台頭した参加型・対話型のアートを「リレーショナル・アート (関係性の美学)」と名付けた。リレーショナル・アートでは作品は作家から鑑賞者への一方通行の物ではなく、人々の間に生起する関係こそが作品となる​。代表的作家リクリット・ティラバーニャは美術館で観客に料理を振る舞い食卓の談笑自体を作品としたし、杉本博司は農村で棚田を共同作業するプロジェクトを手掛けたりした。これらはプロセスが作品化した実例と言えよう。
もっとも、リレーショナル・アートに対しては批評家クレア・ビショップからの鋭い批判もある。彼女はブリオー理論が関係性そのものを無批判に「善」とみなしていると指摘し、参加型アートで生まれる人間関係の質を問うことなく民主的だと称賛する風潮を疑問視した​。ビショップ曰く、「対話が成立していればそれだけで民主的で良い関係だと想定しているが、そこで生じている関係の質や権力構造を吟味すべきではないか。誰のためのどんな関係なのか?」。彼女はむしろ対立や緊張を孕んだ参加型作品にこそ価値を認め、容易な和解に落ち着かない「アゴニスティックな関係性」を評価した。これは前節まで触れたムフの政治思想(アゴニズム)を美術批評に応用したもので、ビショップは政治的アートにおいてこそ葛藤や不一致が可視化されることに社会的意義があると主張する​。例えば、スペインの集団PSJMによる「Vote In/Vote Out」プロジェクトでは、参加者が模擬選挙に投票する中で不正操作が行われていることが後に暴露されるという形で、民主主義への信頼と怒りを同時に喚起した。これは参加者に不快な経験をさせるが、それゆえに彼らに政治制度への批判的認識を芽生えさせる狙いがあった(まさに「心地よい合意」ではなく「不一致からの学び」を与えるアート)。ビショップはこうした「参加型アートの暴力性」にも注目すべきだと説き、単なる融和的共同体のシミュレーションでは社会変革につながらないと論じた。
Claire Bishop – Antagonism and Relational Aesthetics |
Democratic Politics and Conflict: An Agonistic Approach