体験流
experiencing は、一般的には「体験過程」とする村瀬孝雄氏の訳語が定着しつつあるが、experiencingは、個人の内側につねに存在する感じの流れを意味しており、「過程」という 語から連想される時間的経過を必ずしも含意してはいない。そのため筆者(諸富)は、「過程」という語を使わず、「なまの体験の流れ」の生々しさをとどめる「体験流」という訳語を採用している。 下記で書いたのと近い解釈
名詞とも動詞とも解釈できるexperienceにingをつけることによって動詞としての解釈だと示しているわけ 川の流れのように連続的にずっと動き続けている。
「常に違う物だけどずっとそこにある」的な形
物のスキームではデフォルトが「変わらない」だが、こちらは「変わる」という現象が持続する ジェンドリンは「体験」を「我々がどの瞬間にも持っている感情の流れ」と捉えている
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ベルクソンは「持続(durée)」という概念を提示し、時間を連続・不可分の流れとして捉えました。これは、時計の目盛りのように切り分けられる客観的な時間とは異なり、主観的な生の連続感を重視する考え方です。ジェンドリンの「体験流」も、同様に個人の内側で常に流動し続ける感覚の連なりを強調しており、まさにベルクソンの持続に近いアプローチと言えます。 また、古代ギリシャのヘラクレイトスも「万物は流転する」と述べ、川の流れと同様に世界や自我を捉えようとしました。ジェンドリンのいう「体験流」は、その絶えず動き続ける生々しい感覚に注目しており、静的な「もの」の概念よりも、変化し続けるプロセスに焦点を当てる点で、ヘラクレイトスやベルクソンの「流動性の哲学」を連想させます。