人に聞くことと検索すること
2018-06-03
「質問する側が10の時間コストを払って、回答する側が10の時間コストを払って、質問する側の知識が1増える」が「聞く」ということだとする インターネットの進歩によって「1の時間コストを払うことで1の知識が得られる」という「検索」が生まれた 検索以前は、100のコストで10回質問して10の知識を得ていた
検索に適応した人たちは、100のコストで、100回検索して100の知識を得ている
その状態で知識0の人が質問して来たら「え、なんで君が0から100まで上がってくるために僕が1000のコストを払わないといけないわけ?自分で検索しろよ、そっちの方がお互いにとって合理的だろ」ってなる。
知識が多様化していることによって100の知識を持っている人同士でも、お互いに知らないことを持っている。
だからその状態の人同士では知識の交換が互恵的な関係で成り立つ。
だから10のコストを掛けることが正当化される。
100の人たちは、そういう価値の高いものを交換するために「質問」という高コストな手段を使っている。
そこに検索すればすぐにわかるような質問をする人が現れると、時間を搾取する有害な人なのではないかって警戒される。
むしろ「検索しろよ」ってフィードバック返すのはとても親切だ。
飢えた人に魚を与えるのではなく釣りの方法を教えようとしているのだから。 #魚と釣りのたとえ 問題は飢えている人が釣りを覚えることの価値を理解せず魚をくれよと言ったり、魚をくれないことに逆恨みをすることだ。
「斧がすごくさびてますよね、研いだ方が良いのではないですか?」「木を切るのに忙しくて斧を研ぐ暇なんてないんだよ!」みたいな。
その他論点
検索能力を教える必要がある
検索結果からゴミをフィルタする能力を鍛える必要がある
関連
検索すればすぐにわかることなのか、調べまわっても見つからないが詳しい人に聞けば一瞬で終ることなのか、は不可知
なので15分自力で何とかしようと頑張って、それでもだめなら質問しようね、というルール
まずわからない人が説明し、わかってる人が訂正するという方法の効率が良い