ブランドに乗っかっているのは恥ずかしいこと
慶應義塾の歴史からいっても、世の中がつくったブランドに乗っかっているようでは困ります。 伊藤公平塾長もしばしば言っていますが、慶應は本来、少数論者としての気概を大切にしてきました。福澤諭吉は、儒教主義の強い時代に、個人の独立や男女の平等のために生涯戦った人です。そして福澤先生があの時代に何を塾の後進に期待したのか、戦前・戦中に軍や当時の文部省から、西洋流の自由主義の学校としてにらまれながら、小泉信三塾長がどうやって塾を守ったかを知ってほしいものです。慶應はずっと少数派になることを怖がらず、社会にとって真に大切であると考えることを主張してきたのです。かぎかっこ付きの「慶應ブランド」イメージに乗っかっているようではいけません。 ブランドに乗っかっているのは恥ずかしいことだと、気づかせることが大事です。私は看護医療学部ができた2001年から、福澤先生や慶應の歴史を学ぶ授業を、SFCの3学部を対象に担当しています。上記のことをストレートには言いませんが、毎年、受講した学生の何人かが「慶應に入学して親や友達からちやほやされ、喜んでいたが、それがいかに恥ずかしいことかに気づきました」と感想を書いてきます。