ツリーとリゾーム
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リゾームとは根茎のこと。ツリー(木)と異なり、中心がなく、互いにつながりあっている。 ドゥルーズはデカルト以来の「形而上学が中心であり、その他の学問はそこからの派生であり、相互に比較することはできない」というツリーのモデルを批判し、リゾームのモデルを提唱した。 「ツリーの否定」という視点での関連事項
1977年の「パタン・ランゲージ」で有名になるクリストファー・アレグザンダーの、1965年の論文「都市はツリーではない」では、現実の都市はツリーではなくセミラチスであると主張している。このセミラチス(半束)とは数学用語の束(Lattice)の2条件のうち片方しか満たさないもののことである。
ツリーに合流を認めたものが有向非巡回グラフ(Directed Acyclic Graph, DAG)と言う。これは半束よりも更にゆるい条件である。DAGはトポロジカルソートによって全順序化ができる。 「ある信念が正当化されるのは、自明な基本的な信念によって基礎付けられるときだけ」 という考え方(基礎付け主義)や 数学を少数の「公理」から厳密に演繹された体系として構成しよう考え方(公理主義, ヒルベルト)は ハンス・アルバートが1967年の「批判的理性論考」で独断論であると批判した(see ミュンヒハウゼンのトリレンマ) 基礎付けによる「個々の信念」の正当化ができなくなったため、 「信念体系の正しさ」を信念同士の無矛盾な結合(整合性)によって正当化しようという考え方(整合説)が生まれた。 これは中心や基礎となる公理のない知識体系であり、リゾームの考え方に近い。