アトミック
「アトミックであることが良いことである」と考える人がいる
>Evergreen notes should be atomic
こういうことらしい
この世界は原子だけでぽつんと存在しているわけではない。...「Evergreen notes should be atomic」は、自分たちが扱う(あるいはその脳に潜む)情報群にも、同じような「見立て」を導入しよう、というコンセプト。
あんまり共感できてないのだが、まだ僕に見えてない何かがあるのだろうか
多分具体的ないくつかの状況において「こうすれば便利」という話が、抽象的な戒律になった後に文脈から離れて一人歩きしてるのではないかと思う
なるほど
もう少し厳密な書き方をすると
アトミック性は「アトミックである/でない」という二値の属性ではなく、
ノートが広すぎず断片的すぎない「適切なバランスに近い」という性質で
「ノートが断片的すぎるとつながりが見えにくくなる」もの。
同じものを見ても何を見出すかは人によって異なる。
アトミック性はノート単独の性質ではなく、ノートと人の間の関係性なのでは?
あるテーマXに要素A,B,Cが含まれているとする
既にそれを理解してる人にとってはA,B,Cが分かれていることが「アトミック」
しかしXに詳しくない人がこのA,B,Cを分断したノートを見ると、AとBの関係を見出せなかったりする
これはまさに「ノートが断片的すぎるとつながりが見えにくくなる」であり、アトミック性に反するもの
うまくいかなかった/原因を考えた/一因は、アトミックノートとはページをできるだけ細かくすることだ、と思ってしまったこと
大きすぎても小さすぎでダメだという話が大元の記事には書かれているが、伝言ゲームの過程で消えたのかな
アトミック性の適切なバランスはScrapboxでは大きい
アトミックという概念がどうもしっくりこなかったのでオリジナルの英文を訳しました
常緑ノートの提唱者は「ノートが広すぎると〜」「ノートが断片的すぎると〜」と解説している
つまり適切なバランスにするのが良いという主張
その「適切なバランス」がScrapboxでは提唱者の想定より大きい可能性がある
「ノートが広すぎると〜」ではこう書かれている:
A: ノート中の複数の考えの1つに対して、関連する新しい考えに出会ったときに、それに気づきにくい
B: ノートへのリンクがあいまいになってしまう
Bは、あるノートへのリンクがそのノートの先頭につながる場合を暗黙に想定しているように思える
実際提唱者が使っているのはそのようなシステムに見える
Scrapboxの行リンクやリンク位置へのスクロールの機能があれば、複数の考えが一つのページに入ってても、その部分を指し示すことができる
Aも、ページ中のリンクが「他のページへの片方向リンク」ではなく「ページのタイトルと同じように、他のページからそこへつながることもできる窓口」であるScrapboxの特徴によって緩和される
つまり提唱者のいう「広すぎる場合の問題点」はScrapboxでは緩和されている
刻みすぎることの害は、たとえばフォーラムで「他のページを透過的に埋め込みたい」という要求がしばしば出て、拒否されているところから、Scrapboxではあまりケアされていないように見える
ならばScrapboxでは提唱者の想定より大きくするのが適切なバランスなのでは?