アカデミアと差別化の罠
アカデミアと差別化の罠
もしかしてアカデミアの新規性を重視する評価態度は差別化の罠を促進しているのではないか?
短い有期雇用の場合
雇用期間内で成果を出さなければいけないことで、成功するかどうかわからない「根本的に従来のものと違うアイデア」に時間を投資する時に個人が背負わなければいけないリスクが大きい
査読の仕組みは、市場の仕組みとは違う?
市場では大部分の顧客が反発しても熱狂的なファンが少数居れば事業が継続できる、see ホスタイル・ブランド
アカデミアでその分野の研究者の大部分から反発されるような研究を継続することは難しい?
そうとも言えない?わからない、分野の雰囲気による。
例えば物理学会において、オカルト的な発表であっても発表の機会自体は与える、ただしそういう発表をする部屋が固められている
「専門家は差があると思っているが、大まかに見ると大きな差がない」というのは構図がよく似ている。
「顧客」が誰であるかは構図が少し違うかもね。
市場を相手にビジネスをしている企業にとって、製品にお金を払ってくれる「買い手」「顧客」は複数いる
大部分の研究者にとって研究にお金を払ってくれる「買い手」「顧客」は「雇用主」であって単数
企業との共同研究をバンバンやってる先生は別
買い手が少ないほど買い手の交渉力が強くなる。相対的に自分の交渉力は弱くなる。
Q: アカデミアにおいては新規性が最も重要な価値とされる、という主張か?
A: 違う。「アカデミアにおいては新規性に価値を見出す人が、ビジネスに比べて多い」ぐらいです。
ビジネスにおいては新規性を評価するのは少数派で、アメリカで成功したビジネスを日本に持ってきて模倣するタイムマシン経営戦略でもしばしば成功することと比較すると、アカデミアがビジネスよりも新規性を重視する価値観なのは同意いただけるのではないか。