The Invention of Prehistory
ハラリの「サピエンス全史」も、グレーバーの「万物の黎明」も、主張は正反対に見えるが、実はどちらも「いろんな疑問を都合よく説明してくれる『先史時代のストーリー』を捏ねくり出したい」という昔から西洋思想家が夢想してきた流れにある本だ、という話。一理ある raurublock そういう風な「西洋思想家の夢想」に過去どんなものがあったかを概観し、そういう夢想の危険性に警鐘を鳴らす本だそうな。まあ確かに我々には「俺は歴史からこんなに学べる!つまり俺は賢者だ!と思いたがる」という困った悪癖があるよな The Invention of Prehistory: Empire, Violence, and Our Obsession With Human Origins
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claude.iconこの記事は、人類の原始時代や先史時代に関する理論には注意が必要だと主張しています。主な論点は以下の通りです。 2. 先史時代への関心は、近代のレイシズムと植民地主義の抑圧的な世界から生まれ、今なおその毒に冒されている。暴力的で自己中心的な物語を生み出し、自己省察を妨げている。 4. 先史時代への関心は問題が多いが、抑圧的な秩序に異議を唱え、新しい現実を想像するためのツールにもなり得る。人間には古い物語に新しい意味を与える力がある。
要するに、先史時代の理論には注意が必要だが、平等主義的な目的に役立てることもできるというのがこの記事の主張です。
この記事が「暴力的で自己中心的な物語」と批判しているのは、以下のような先史時代に関する見方を指しています。
1. 原始時代の人間は本能的に暴力的で攻撃的だったとする見方。例えば、人間社会が「殺人猿」から進化したとするロバート・アードリーの説など。 3. 現代の欧米人とは異なる人々を「原始的」で「未開」だとみなし、征服の正当化に利用した植民地主義的な見方。
4. 人類の歴史全体を、現代の欧米社会の誕生に至る一本の直線的な物語とみなす見方。自分たちこそが人類の到達点だと自画自賛する態度につながる。
5. 自分たちの関心事を過去に投影し、現代人の正当化のために先史時代を利用する態度。
こうした見方に共通するのは、先史時代を暴力と征服の物語として描き、現代の優越性を正当化するために利用する点です。著者はこれを自己中心的で有害だと批判しているのです。