DominionをFactorio的にプレイしてる
僕はどうやら
Factorio系ゲームにおいて「ゲームの勝利条件を満たすために必要なリソースを獲得する効率を上げる」のと同様の構図で
Dominionにおいても「ゲームで勝つために必要な知識を獲得する効率を上げる」というプレイの仕方をしていると気づいた
ドミニオンを3週間ほど集中して勉強したらまともな社会人の友人は「そんな速度で進まれたら追いつけない」という気持ちになることがわかったので何か別の方向にエネルギーを逃す必要があるw 先日雑談でドミニオンの話をしてて「どうすれば効率よく強くなれるのか」と僕が言ったことに対して「ゲームに効率を求めるなんて」的な反応をされて「えっ」となった。
びっくりしすぎて相手の言ったことをよくキャッチできなかったのだけど、よく考えるとこれはなんだか面白い認知の違いがありそう。
たとえば推理小説を読むときに効率よく犯人を知るためには後ろから読めばいいわけなのだけど、そうしない人が多い。これはなぜかというと「犯人を知ること」が目的なのではなく「犯人を知るプロセス」が目的だから。
Factorio系ゲームで、たとえばクリアのために白キューブを1万個作る必要がある このときプレイヤーは白キューブが欲しいわけではない
実はゲームのクリア自体も目的ではない。たとえば「押したら即座にゲームクリアになるボタン」があったら押すのかどうか。
まあ、Factorio系ゲームを好んでプレイする人がホモサピエンスの中では少数派かもしれないな。
ランダムなホモサピエンスを檻に入れて「Factorioをクリアするまで出られません、1万円払うなら出してやってもいい」って言ったら1万円払う人もそれなりにいそうだ
話を戻すと、Factorio系ゲームを好んでプレイするプレイヤーは「非効率なやり方をすると白キューブを集めるのに100時間掛かる、それを1時間掛けて効率的パイプラインを作ることで10時間で獲得可能にする」というところに価値を感じてるわけ
つまり、ゲームの勝利条件として与えられている目的の他にもいろいろな目的があり、どれに価値を感じるかは人によって異なるということだな
ドミニオンの勝利のためには「知識」が必要で、これが白キューブに相当する。
で、この知識を獲得する方法として「とにかくたくさんプレイすればいい」という人もいるが、これは「100時間掛かる白キューブの作り方」なわけ。
そこで僕はより短時間に知識を獲得する手法を構築しようとしている、と解釈できる