親和欲求と達成欲求とコミュニティ
親和欲求低め達成欲求高めの僕にとって「コミュニティ」などというものは本質的には存在していなくて世界は「プロジェクト」で構成されているのではないか
なので
"BMOTの講演"みたいに具体的なプロジェクトがある間はBMOTというコミュニティで活動したが、プロジェクトがなくなると全く意識に上らなくなる
自己紹介の時にコミュニティへの所属ではなく活動しているプロジェクトを語りがち
自己紹介でいつも今やってるプロジェクトのことを話して、所属とかを話さない
自己を「コミュニティ」ではなく「プロジェクト」で認識している
自己のアイデンティティが所属ではなく活動で表現される
マーダーミステリーは毎回個別の「プロジェクト」と認識されてる
「銀座マダミス会」という「コミュニティ」とは認識されてない
立川 智也.icon僕の中ではプロジェクトでありコミュニティですかね
毎回が「みんなが今日参加して良かった、と思える時間にする」というプロジェクトをするコミュニティです
マダミスが開催されなくなった時に「コミュニティは残る」と考えるか「プロジェクトが発生しなくなったなー」と感じるかの世界観の違いだなーという気持ち
っていうのを久しぶりに昔温泉旅館で開発合宿してたエンジニアコミュニティのSlackを見て思った
そのSlackを見にいかなくなったのはそこでプロジェクトが行われてないから
安野チームやCode for JapanやJAPAN CHOICEのSlackは見に行ってる
これはそこでプロジェクトが行われているから
僕個人は物理的にはノマドではなく、ずっと東京に定住している
だが、コミュニティをあまり認知しておらずプロジェクトで世界を認知していることによって「プロジェクトがある場所に移動する」という抽象的ノマドをしているのかもしれない
村に対する帰属意識が低い
熊が出たら熊を狩りに行く猟師のようなもの?
これもまあプロジェクトだよな
倒したら終わり
終わりがある
next プロジェクトの束としてのコミュニティ
親和欲求と達成欲求