職業権威人
asakura_yusuke 「知の巨人」や「知識人」と目され、己の権威性によって生計を立てる「職業権威人」。文化人に多い人種ですが、ビジネスの世界にもこの手の立ち位置の方は少なからず存在します。彼らの力の源泉がどこにあるのかといえば、「権威」と目されていることそのものにあるのでしょう。 何者か今ひとつよくわからないけれど、「権威」と言われているのだからきっと「権威」なのだろうと認識されている人々。
彼らは往々にして衒学的で実用性のない意味不明瞭な言説を断定調で発しますが、その言説が難解であればあるほど受け手からはありがたがられます。誰もが理解できる平易な言説では権威性に欠けるからです。 下手に実用性があればその言説は評価に晒されますが、抽象度が高く実用性を伴わない言説はその心配もありません。反証可能性のない言葉遊びを、世界の秘められた真実としてうやうやしく語るのが彼らの特殊技能です。 受け手の中からはそうした言説を「わかる」と主張する者も出現します。「権威」と認知された人物の言説に同調することで、自身もまた「権威」に準じる存在として認められたいからです。こうした承認欲求や権威欲求を満足させるうえで、「職業権威人」は貴重な存在と言えるでしょう。 経験的には高級官僚や大企業経営者等のインテリ層、学歴エリートにこの手の「わかる」人が多いように思われます。
「職業権威人」の権威性は、こうした崇拝者の支持によってさらに強固なものとなります。
この点で、「職業権威人」とその崇拝者は互恵的な依存関係、あるいは共犯関係にあると言えます。
崇拝者が崇めることで権威者の地位は強固になり、その権威者から「あいつは分かっている」と評されることで崇拝者は「名誉権威」の地位を勝ち取ることができるのですから。
「職業権威人」が自身の正当性を真っ向から問われることはなかなかありません。ですが、その言説の不明瞭さや根拠の有無、ロジックの飛躍などを指摘する野心的な挑戦者がひとたび出現した際には、徹底してこれを叩き潰します。なぜなら、彼らの権威性は「権威」と目されることによって保たれているということを誰よりも理解しているのは他ならぬ「職業権威人」自身だからです。
崇拝者の前で己の威信に少しでも傷をつける者は、完膚なきまでに叩きのめす必要があるのです。
自身の正当性や言説に疑問を投げかける挑戦者が現れた際、「職業権威人」がやりがちな対応は、お得意の知識とレトリックを駆使して口早に観念論をふりかざすことです。相手に口を挟む隙を一切与えません。平常活動の延長線上で散々と観念論を捲し立て、聴衆に理解する暇を与えぬ内に、「お前は何もわかっていない」と威圧的に言い放つのです。
言説の内容の是非を問われているのに「わかっていない」と返したところで論点は噛み合わず何の回答にもなっていないわけですが、有無を言わさぬ圧で場を支配し、崇拝者の支持を取り付けることで、無謀な挑戦者を退けることができれば、彼らにとって目的は達せられるのです。過去に何度も同じ芸当で挑戦者達をやり込めて来たように。
この点は、コメンテーターとして活躍する匿名掲示板創設者の「論破芸」に近いものがあります。 彼らの言説を構成するのは良く言えば膨大な「教養」と巧みな「レトリック」です。ただその実態を詳らかに観察すると、断片的な知識の切り貼りによる言葉遊びに過ぎません。「知の巨人」というよりは、雑学王かクイズ王。「物知りじいさん」か「詭弁師」と呼ぶのがせいぜいではないでしょうか。「知の巨人」というよりは「知の虚人」と呼ぶ方が正確です。 得てしてこうした「職業権威人」は世俗から離れた隠者のように立ち居振る舞い、資本主義を批判しますが、その収益の多くは大企業等からの講演や人材研修、コンサルティング名義でもたらされます。
ただそれ以上に、彼らの権威性が謂わば市場的な美人投票によって担保されていることを思うに、「職業権威人」とは実に資本主義的な存在だと思わずにはいられません。 非常に良くできたビジネスモデルだと言えるでしょう。
以上、宴席で友人が話していたことのまとめでした。