未踏性とは
後で切り出す
その時の僕なりの回答
「未踏とは何か」「未踏性とは何か」は明確な定義はない
個人的にはこれに共感している
最終的なアウトプットがばらばらになって評価基準が揃わないわけです。けれども、「すごいものはすごい」のです。「すごければスーパークリエータに選ばれる」というシンプルな評価を持ち込んだことに、未踏の意味があります。 しかし「未踏とはこうである」と定義するのではなく、あくまでPM個々人が自分の価値判断軸で判断していくことが有益なのだと思う。
これについて僕なりにもう少し考えてみた
「研究室の先生がこれをやるといいんじゃないかって言ったので出しました」みたいな応募は落ちるべきだと思っている
「近年、少子高齢化がなになにであって、だからこれが必要なのです」みたいな説明が先に来るとげんなりする
「とにかく私はこれを作りたいんです!」が先に来て欲しい
「自分の価値観に基づいて」と表現してもよい
「新しいものを作ること」も必要条件
自発的動機は必要条件であって十分条件ではない
「とにかく作りたいのでマインクラフトのクローンを作ります!」はイマイチなので。
まとめ: 「新しいものを自発的動機に基づいて作ること」
「技術的に高度であること」は必要条件ではない
高度である方がベター
だけど高度であることだけを重視すると「先人が積み上げまくった山の上に小さな石を積む行為」が効率よいことになる
これは「先人たちの価値観」に従ってるので、その分「自分の価値観に基づく」が弱まっている
「新しいもの」の「新しさ」は自明ではない
「新しさ」の感覚は人それぞれなので「すべての人が新しいと思うもの」は存在しない
コロンブスが新大陸を見つけた後で「船で一方向に進めばいいだけだ」とか言う人が出る see コロンブスの卵 他人が新しいものを作った後で「それは誰にでも思いつく」と後付けで言う行為は、それこそが誰でもできること
一般大衆が「これ新しいね」って言うものを作ろうとすると、「一般大衆の価値観」で考えることになる
これだと「一般大衆多数派の価値観」に乗っかって、ちょっとだけ変えたものを作る方が有利
大きく変えたものは一般大衆が理解しない
評価が難しい
自発的動機に基づいて新しいことをやると、結果の評価が難しい。
最終的なアウトプットがばらばらになって評価基準が揃わないわけです。
どんな評価軸を定義しても、その評価軸の上での最適化が行われてしまう。
評価軸自体を新しく作り出す人材を作り出そうとしているのにそれをやっては意味がない。
なので
「未踏とはこうである」と定義するのではなく、あくまでPM個々人が自分の価値判断軸で判断していくことが有益なのだと思う。
に帰着する。