方法論の議論と価値衡量の議論
MasatoshiAdachi 都知事選候補の @takahiroanno の取組で、GitHubでの政策討論の話が話題だけれど、国内で初期(自称)にこの手の取組を国で企画・推進した身としては、一家言ある。 Gitという仕掛けについては、世間で指摘されているようなプルリク等の敷居の高さよりも、方法論の議論には向いているけれど、価値衡量の議論には向いていない点に注意する必要がある。
MasatoshiAdachi プルリクは、基本的に、提案の有用性が客観的に第三者が検証可能な論点については機能するけれど、異なる価値を比較衡量した上でいずれかを優先すべきといった価値判断については、客観的な「正しさ」への(神様視点でオープンなコミュニティの)コンセンサスが得られない。 例えば、「早さ」を実現する"how"を議論する、「正確さ」を実現する"how"を議論するといったことは、早さや正確さの評価手法にコンセンサスがあれば可能であったとしても、「早さと正確さでどうバランスを取るか」となると価値判断を介するので、どちらを優先するのが正しいという前提は存在しない。決め手がない以上、議論がまとまらない。 MasatoshiAdachi 選挙というのは、howの内容よりは、この早さと正確さがトレードオフになる場面でどちらに倒す人に意思決定をしてほしいかを選択するプロセスに近い。現行の選挙制度がマニフェストに拘束力を持たせられない以上、候補者の「価値観」で選択するのが一番納得感は高いはず。 マニフェストの実現性の検証のためのhowの議論も重要ではあるけれど、選挙段階でhowの議論が差別化事由なってしまうと、方法論の対立に仮装された価値観の対立みたいな詐欺的な構図を生むので、単一のissueに関心のある人の価値判断の表現をゆがめる可能性がある。
例えば、財源論における社会保障と安全保障の関係のように、子育てへの金銭支援が得られれば財源は気にしない層が、子育て支援の財源を防衛費削減から捻出するという方法論を主張するグループに取り込まれる(逆も然り)パターンなんかもそう。
MasatoshiAdachi 具体の行政の場面でのGit的アプローチは、双方向性やリアルタイム性の観点で歓迎したいんだけれど、それ自体における議論が選挙の判断基準になるような展開にはならないといいなと思っている。 ↓むかしのおもひで