手が動くビジョナリー
落合 陽一 結局は、「手が動くビジョナリー」が最強 https://gyazo.com/632a8f2736a5016396850215c3ebf844
ビジョナリーがやるべき仕事かどうかと、それがビジネスになるか、つまり「経済合理性」があるかについてはどう考えますか。 落合:実は経済合理性はとても重要で、この問題を解けない技術には限界があると思います。経済合理性の問題が解ける技術は、金持ちの出現によって大抵ブレークします。ある程度勝手に育つのです。
一方で、経済合理性のない技術には、インパクトが決定的に重要です。よって「経済合理性のない技術を、インパクトによって経済合理性のある技術に変える」ということが一番大きいブレイクスルーです。経済合理性がある技術はインクリメンタル(積みあがっていく)ですから。経済合理性のない技術はそうではないので、イノベーションが必要なのです。いかに皆がやりたくなるようなインパクトを与えるかがイノベーションに向けての最重要課題です。 経済合理性とインパクトの関係性この図でいうと、右上にいくにはインパクトとパブリシティが重要です。iPS細胞にしても最初は経済合理性ゼロですから。インパクトとパブリシティがうまくいったので、用途も含めて開発が進みつつあります。それがイノベーションです。ということで、まずは経済合理性のない技術にチャレンジしなければいけません。そして、ビジョナリーがそこにインパクトをもたらす。難しいですが、そこが一番楽しいです。 コツコツやっているだけでは、技術が世に出てインパクトを持つには至らないということですね。
落合:21世紀はキャラクターの時代です。インパクトを持ち、経済合理性を克服して、右上に出なければいけません。それには従来のやり方では全く無理です。絶対にビジョナリーが必要であり、ビジョンに基づいたチームが必要です。これが大企業だとビジョンがなくてもお金儲けのエンジンがうまく回って生きていけますが、チームは個人の集まりなので強烈なビジョンが必要です。僕は物を考えるもの得意ですし、手を動かすのも得意ですが、さすがに1人では回りません。ビジョンがあれば、チームで右上にいける。イノベーションが実現できるのです。やりたいと言って動き続ければ、最初の芽までは出ますから。芽さえ出れば、そこから先は金持ちを見つけるか、もしくはパブリシティを稼げれば一気に変わる問題です。そこはテコの原理です。
今の日本には、肝心なビジョナリーが足りないと感じますか。
落合:ビジョナリーだけでなく、手が動く人も足りません。結局は、「手が動くビジョナリー」が最強なのです。ビジョナリーが少ないのか、手が動く人が少ないのかというと、うーん、どうでしょう。どちらも少ない気がします。経験を積めば手は動くようになりそうなものですが、そうでもありません。ビジョナリーが要求する手の動かし方はインクリメンタルなものではなく、全く新しいことだからです。サーバサイドが書けるからイノベーションが起こるわけではありません。「そのサーバの機能を植物細胞で実装できる?」「神経細胞に乗るサーバ作れる?」と言われて、「できる」と言えるエンジニアは限られます。そういう話です。 ビジョナリーの仕事はコンセプトとチームビルディングだけではないということですね。少なくとも自ら手を動かしてプロトタイプまでは持っていかないと。
落合:ビジョナリーは手が動かなければいけません。ただ、プロトタイプまでつくることは簡単ではないですけどね。そこまでできてしまえばあとはできますから。そこまでがすごく大変なのです。大変だからこそ、ビジョナリーがやるしかありません。ひたすら実験したり、ひたすら説得したりしてガリガリ実験をやっていくことです。僕はよく自分の研究室で「ガンダムのシャアになれ」と言っています。シャアは総帥ですが、一平兵としても最強です。ガンダムのかっこ良さはそれによって成り立っています。ミュージシャンも同じです。ライブになればチームに人が増えてきますが、コアなバリューは本人たちが徹夜でこもって死ぬような思いで作っていますから。
テスラモーターズのイーロン・マスクが「素晴らしいプロダクトも持たずに素晴らしい会社をつくろうとしている人たちがあまりにも多いのにいつも驚く」といったことを思い出しました。
落合:20世紀はドイツ人に振り回されたと思っています。マルクスやマクルーハンなどです。1945年から1989年までの長い冷戦期間は、ほぼカールマルクスの実験場だったといえます。マルクスは考え方によって随分、人を殺しています。メディアについて言えば、マルチメディアの時代というのは、基本的にはマクルーハンが言ったようなメディア論の世界です。リュミエール兄弟が映写装置を発明したことが20世紀における最も重要なプロパカンダ手段であり、プロパカンダは国家為政に最も関わるところでした。それがインターネットによって今、崩壊しようとしているのが21世紀の本質的な枠組みです。デザインも人の認知論もそうです。インターネットはほぼ自然発生的に誕生しています。ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを作ったように、もしくはアーパネットがインターネットになったように、情報の流れというのはほぼ自然に存在してきました。そこには、思想がありません。だからこそ、「どうすれば21世紀の思想をつくれるのか」ということが、僕にとってはとても重要なテーマです。マルクスより面白いことを思いつけばいいのです。どうすればその考え方を実現し、人にインストールできるのかということにかなり興味があります。その手段として今、人と自然とコンピュータが垣根なく存在する、デジタルネイチャーに取り組んでいるわけです。