執筆中の思考20190201
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本を新しく書くことと自分の本を翻訳するということを比べると、前者はまだ言葉になってないが自分の中にあるモヤモヤしたものを言語というフックで引っ掛けて引っ張り出す行為であるのに対して、… ここまで書いてから「翻訳」と一つの言葉で表現するのが適切でない気がした 著者と翻訳者が異なっている場合「翻訳者が原文を読んで著者の言いたかったことを理解する」というフェーズがあるが、僕の場合、著者と翻訳者がイコール
だからアクティビティとしてだいぶ違う
レポートを書くのとプレゼン資料を作るのはフォーマットが違うため変換時に新たなアイデアが生まれることがある、に近い
訳の正しさに関する感覚、僕の場合は自分が著者なので自分の言語化されてない感覚に基づいて判断しても正統的。
一方翻訳者が著者と異なる場合「文章に基づいて著者の考えを汲み取ったもの」が個人的な解釈なので、違和感があったり不安を感じた場合は「制度化された文章」との一致を優先する
この比較的レアなアクティビティを、観察してログを残して後から振り返るのはすごく面白い
「翻訳」とはなんであるのか
概念とそれのハンドルとしての言葉を、氷山モデルに対応づける
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辞書とか機械翻訳とか他人によって変換された訳文を見たときに違和感が生まれる これは検証フェーズに相当する
外界との対話による学びの一種
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学びの時には、このギャップに注目することで、何が得るべき知識なのかがわかった
一方、著者自身が自分の本を訳している場合「答え」は「著者の表現したいこと」だから、外ではなく中にある
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単語も本体ではない
Aさんが英語でアウトプットをし、Bさんがそれを読んで日本語に翻訳し、Cさんがそれを読んで日本語の文章を書いた
この日本語をもう一度英語に翻訳した場合に、必ずしも最初にAさんが書いた英語の単語とは一致しない
それを一致させるべきかどうか、という話
「Aさんの出力した単語がなんであったか」は具体的データであって、Cさんの表現したかった内容ではない
=単語は本体ではない
実際、僕の場合、7つの習慣の原著では「Put first things first」最新の翻訳では「最優先事項を優先する」であることを承知の上で、古い訳文の「重要事項を優先する」をチョイスした
その経緯は脚注に明記してある
オリジナルの著者がどういう単語をチョイスしたかは重要ではない
Cの伝えたい内容が適切に伝わるかどうかが重要
「速く読む」「遅く読む」のグラデーションの話で言うと、自分の書いた文章を翻訳するのは今のところ1日に3〜5ページのペースで進んでるので、僕の読み方の中では格段に遅い。
今まで、「学ぶ」とは何か?「本を読む」とは何か?などと掘り下げてきてたけど、自分で自分の著書を英訳することによって、まだまだ暗黙にわかったつもりになっている言葉があることに気づいた。「価値観」とは何か?「適当に決める」とは何か? 自分の本をScrapbox上で英訳して行ってて、一つ良かったこととしては「これは一章で見た話」みたいな言及が、Scrapboxの具体的なページへのリンクになること。ページタイトルに節見出しが含まれてるのでリンクをたどらなくても思い出しやすいし、思い出せなかった人がたどって読み返すのは87ページ「テストをしてからさらに学ぶ」の効果があるよね