危機感が足りない
不特定多数に対する「危機感が足りない」という言葉は、「自分が適切だと思っている危機感のレベルに対して、不特定多数の持っている危機感のレベルが低い」という意味 結局のところ、自分の持っている漠然とした「危機感」を、わかりやすい「脅威」として言語化して伝えることができない人が、みんなが自分の感覚に説明なしで共感してくれないことに不満を感じている構図 どうすれば良いのか
大衆が危機感を持ったところでどうせ「天が落ちて来るのでは」(杞憂)のような漠然とした危機感の人が大部分なのでは? 何がどう変わるからどう備える必要があるのか?
それを説明することが困難なんだろ
複雑につながりあっているシステムがあって、その中のエッジが一本太くなった
この変化は広い範囲に影響を及ぼすし、その影響が新たな影響を及ぼす
それを言葉で説明することは困難だ
システムをエミュレーションする能力が高いほど、先まで読めるようになる
その判断が正しいかどうか自信が持てない
だから「その判断をできないような人に判断の結果を教えると不利益が生じる、うまくいかなかった時にだね自分のせいにされるから」
世界解釈自体は発信する
発信者に情報が集まる原理によって発信が有益だから
複数の視点から見ることによってより良い世界理解に至る
その世界理解に基づいてどのようなアクションを取ったかは発信されない
なぜなら考えずに模倣する人が出ると有害だから