共感と雑談プロトコル
「気まずさ」というキーワードが出てきて、その「気まずさ」の定義は何なのか掘り下げた結果、「気まずさ」の認知能力に帰着される可能性が出てきた。 恵さんの家におじさんが遊びに来ました。恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。「おじさんのためにケーキを作っているの」。おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。ここで質問です。気まずいことを言ったのは誰ですか?また、なぜ気まずいのでしょうか?
大前提として「チーズケーキが苦手であるという事実を、自分のためにチーズケーキを作ってくれた人Xに伝えることは、Xにネガティブな感情を引き起こすので、自分に『気まずい』と呼ばれるネガティブな感情を引き起こす」ってのが仮定されている。
多数派の意見はそうなんだということは頭では理解しているけど、自分の実感としては「事実を伝えることでXがどう感じるかは不可知だし、仮にネガティブなものだとしてもそれはXの課題であって自分には関係ない」がしっくり来る。
tokoroten >ケーキを作っている事実は知っていても、それにチーズが含まれていることはおじさんは知らないので、誰も気まずくはない。というのが自分の結論だったんだが・・・
hikita >神の視点はもてない以上、おじさんがチーズケーキを作っているのを知らなかったとしたら、場は気まずいが発言はある種必然かも?アレルギーとかだと伝えざるを得ない場合もある
共感能力の高い「空気が読める人」は、相手にネガティブな感情を抱かせると自分もネガティブに感じるわけだな。だから「~をしておかないと相手が気まずい思いをするので、自分が先に~しておく」という発想が出る。
逆の例としては、「相手が公衆の面前で誤りを指摘されて恥ずかしさというネガティブな感情を抱く」ということを認知できないと、公衆の面前で誤りを指摘するわけだ。
指摘する側は「相手がネガティブな感情を抱くかどうかは不可知だし、仮に抱くとしてもそれは相手の課題」とか考えている。「間違いを指摘されて怒るのはおかしい」みたいな。
一方で生得的に共感力のある人でも、あくまで「生得的な認知のパターンが自分と似ている人」の認知を自分の認知を元にエミュレートできているだけなので、「共感力のない人」に対して共感することができるとは限らない。
そういう意味では、片方を「共感力がある」もう片方を「共感力がない」と呼ぶこと自体がおかしくて「タイプAとタイプBの間では共感ができない」が正しいんだけど、残念ながらタイプAがマジョリティなのでマイノリティに対する無自覚な差別が発生する。
相手がネガティブな感情を持つかどうかを敏感に察知して、それを回避しようとする個体のほうが生存に有利だったのだろうか