共感と正義のバランス
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ローティの論文のよくわからなかったところを原文で読み直してる
医師が患者の立場に立てないってのは何も闇の中ではない、彼らが仕事を正しくやるのに十分な光がある
gpt.iconはい、その解釈は正しいです。
ここでの「暗闇」という言葉は、文字通りの暗さを意味するのではなく、比喩的に人間関係の中での理解や共感の不在を表しています。この比喩は、人間が互いに深い理解や愛情を持って接することなく行動すると、その行動はある種の「暗闇」、つまり、人間的なつながりや理解の光が当たっていない状態で行われるという意味を持ちます。
例えば、「私たちはみなひとりぼっち」という表現は、私たちが社会的な生き物であるにも関わらず、根本的な孤独や理解されていない感覚を抱えていることを指します。同様に、「暗闇の中で行動した」という表現は、行動が共感や理解という「光」によって照らされていない状態で行われたことを示しています。この文脈では、人間関係が愛によって触れられていない限り、すべての人間関係がある種の「暗闇」の中にあるという哲学的な見解を示していると言えるでしょう。
nishio.icon共感は必ずしも良いものではなく、サイコパスを射殺する時に相手の立場に共感していないことによってジレンマに陥ることなく社会正義を実行することができていて社会にとって有益、ということ?
gpt.iconはい、その理解はこの文脈における主張の一部を反映しています。
このテキストは、共感が必ずしも常に望ましい結果をもたらすわけではないという考えを示唆しています。特に、サイコパスを射殺する、または戦争犯罪者を絞首刑にするような場合において、行為者が被害者の立場に共感することなく行動することが、実際には社会正義を実行する上で有益である可能性があります。
ある人が他者の立場に共感しすぎることで、正義を実行することが難しくなる可能性があると述べています。例えば、戦争犯罪者の人生を深く理解し、その人がどのような道を歩んできたかを完全に把握している場合、愛と正義の要求の間で葛藤することがあります。しかし、私たちがそのような詳細な背景を知らなければ、正義を実行する際にそのようなジレンマに直面することは少ないと言えます。
この種の無知が、多くの場合、社会にとって有益であることを示唆しています。つまり、人間関係における共感の欠如が、時としては、より大きな社会的、倫理的目標を達成する上で役立つことがあるという点を強調しています。この観点は、共感と正義のバランスを取ることの難しさと、特定の状況下で社会がどのように機能するかについての深い洞察を提供しています。
⿻👎👎😐: Lack of empathy in relationships can sometimes help in achieving greater social and ethical goals
Consensus: Weak No
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