共感とその閉塞性を打ち破る「心の動揺」が必要
共感との閉塞性を打ち破る「心の動揺」が必要
...齋藤純一は、最近の論文で、政治は決してハーバーマスが言うような冷静な討議理性に導かれるものではなく、その維持には「共感」が不可欠であることを指摘しながらも、同時にその閉塞性を打ち破る「心の動揺」が必要だというかなりアクロバティックな論理を展開している。つまりは彼は、理性のみに基づいてまったき他者と開かれた議論を進める、そのようなハーバーマスの想定が非現実的であることを認めている。議論を成立させるのは「共感」であり、平たく言えば似たもの同士の馴れ合いであり、したがって議論が仲間うちの論理のなかに閉じ、市民が私的な関心のなかに閉じ籠もるのもしかたないと半ば諦めている。にもかかわらず、齋藤は、齋藤は、そこには必ず「他者」の侵入があるはずで(それが「心の動揺」)その侵入にこそ開かれた政治の可能性があると主張するのである。 p.118