価値を認めない人と価値の減少を認めない人
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A「Xには価値がある!」
B(うん、価値はあるね、昔ほどではないけど)
C「もはやXには価値はない!!」
B(いや、価値は下がったけど「ない」は言い過ぎでは。「かつてほどの価値はない」とかにしとかないと…)
A「Xに価値がないという奴は、Xを理解できないから価値がないことにしたいのである」
B(ほら、Cが過激なことを言うからAも過激なことを言い出しちゃったじゃん…)
「価値が減少した」と「価値がまだある」は両立する概念だが、それが「価値がない」や「価値が変わらずある」に変換されて両立不可能になる。
@sugimoto_kei: たぶん現代では、知識が社会的序列と結び付けられ過ぎている。だから、重要なことに関して「私は理解できていない」と率直に言うことが、弱さ/無能の表明ととられてしまう。誰よりも本人によって。 ここまではいい話
@sugimoto_kei: 今回の「オブジェクト指向論争」の核心には、たぶんこれがあると思っている。オブジェクト指向はなんとなく重要そうに語られるが自分はよく理解できない、という状況が不快なんだな。だから、オブジェクト指向は「もはや」重要でない、と否定したくなる。 これはおかしいと思った
@nishio: 他の多くの技術的知識と同じように「時間が経って昔より重要性が下がった」ということに対して「もはや価値がない」と極端なことを言う人と「過去と変わらず価値がある」と逆の極端なことを言う人がぶつかり合う構図だろうと思ってた。 @nishio: 「価値があるものを自分が獲得できてないという恐怖から価値がないことにしたがるのだろう」という主張は、簡単に反転して「自分が獲得したものの価値が低下する恐怖から価値が変化してないことにしたがるのだろう」になるわけなので、この二者の対立はあんまり面白みがない。 @nishio: 「わからないものをわからないと認めることが大事」にまったく同意だが、それを他人に使うより前に自分に使わないと説得力がない。Aの価値を自分よりも低く見積もる人に対して「お前がAの価値をわかってない」と使って「自分がAの価値が下がる要因をわかってないかも」と使わないのは歪んだ認知だね。 関連