主体性とはなんなのか不明瞭
nishio: 「主体性が大事だ」みたいなことを言って何かを言ったつもりになってるけど、その「主体性」とはなんなのか不明瞭なのでは?「主体性」に帰着させて終わりにするのは思考停止なのでは? nishio: 例えば今僕は未踏ジュニアのメンター経験を文章にまとめて公開の場に書く活動を、誰かからの指示ではなく行なっている、これは一見「主体的」に活動しているように見える。だけどこの行動は何によって発生しているのか? nishio: 掘り下げていった結果、かつて未踏ジュニアの採択に関して書いたこの記事に関して、あるクリエータ支援的な組織の人から「とても役に立った」という感謝の言葉をもらったことがあった、という事実にたどり着いた。 つまりこれは「承認欲求が満たされた、賞賛による報酬を得た」である
nishio: ということは今やってる行動も「他者からの承認や報酬によって行われている行動」だ。じょあ「これをやるとママが褒めてくれるからやります」と何が違うんだ、と。自分が自発的に行動していると思い込んでいたのは単なる勘違いなのではないか、となる。 nishio: 遡っていくと一番最初にWeb日記を始めた大学1年生の時は自発的だった気がする。だけどその活度を支援する上で「提案書を出して面接を受ける」という今の未踏ジュニアの仕組みが有用ではないと思う。当時もし未踏ジュニアがあっても出してないし、出しても通らなかっただろう。 nishio: では何が有益だったのかというと、その活動は「大学の近くにオフィスのあるベンチャーが、学生に対して無償でサーバの一区画を貸す。自分のホームページを作って良い、オフィスに来て作業して良い」によってトリガーされたのでこれが有益だった nishio: PerlのCGIを自由に置いたり自分で書き換えたりできる場をもらったので、それで「遊んだ」のがキッカケだった。この種の場が増えると良いのかも知れない。 hrjn: 子育てしてて思うのは「主体性は重要だけど、主体的に行動する材料は与えないとダメ」っていう。 当たり前だけど、知らないものは探せないし、手段のないものは実行できない。
これ仕事でも一緒なのだよなー。
nishio: そうだよなー、この場で「Perlでプログラムを書いてここにおいたら家からでもブラウザでアクセスして使うことができる」「単なる静的なHTMLではなく動的に変化するページが作れる」と知ったから色々やり始めたんだしな nishio: それを知った当時の僕は提示版CGIを魔改造して洞窟探検ゲームを作ったりした。当時JNetHackが好きで、壁に文字を書くことができてだんだん薄れていくってのが面白くてそれをネット上の掲示板で実現した。まあ「めんどくさい方法で書き込みをするインセンティブ」を考えてなかったので使われなかった nishio: 幼児のことを考えてみると、紙とクレヨンがあるから絵を描く、粘土があるから粘土でXを作る、レゴブロックがあるからレゴブロックでXを作る…というように「ものづくりオモチャ」は外部から与えられてるのが普通なのかも知れない nishio: そう考えるとScratchとかHackforPlayとかは良い「ものづくりオモチャ」だし、それを人に見せてフィードバックを得る「場」もセットになってる「遊び場」なんだな nishio: 僕の時はサーバの間借りだったけど、現代に置いては静的なページも動的なページも無償で作れちゃうわけだから、一体何を提供したらいいんだろう。 まあ無償で作れると知らない人向けの情報共有は有益だけど、それは記事が数ページあればいいだけだしな。
nishio: 未解決問題について1時間散歩しながら思索するの、運動不足の解消にもいいし、未解決問題が1時間分発展するからよい。明日もやろう。明日は「社会的意義とは?」の予定 nishio: 支援すると良いかも知れないものの案、以前これを書いてた nishio: これは都会と地方の格差の話でもある。たとえ技術書を買うお金が足りなくても都会に住んでるとジュンク堂などの大型書店に行って、大量に並んでいる技術書が並んでる棚を眺めることができる。立ち読みもできる。一方でそのような大型書店が行動範囲にない人もいる。 ---