メモ20180204
まず大前提として世の中には何にでもNOと言う人がいる。
次に肯定してくれる人に囲まれてそういう人に出会うことなく大人になった恵まれた人は、初めてNOと言われた時にビックリする。
そして、どうしてNOと言っているのか理解しようとしたり、誤解に基づいてNOと言っているのだと思ってきちんと解説したらわかってくれると思い込んで説明コストを掛けたりする。
でもそれは、今まで観測できていなかった現象を観測しただけであって、労力をかけたらなくせるようなものではない。
そういう「自分を否定する人間も世の中には存在する」という事実を、自分の人格否定とかではなく単なる事実、単なる自然現象として捉えることが必要になる 逆に否定的なメッセージを受け取りながら育った人もいる。他人とコミュニケーションすることが否定的に学習されてしまっているので、コミュニケーションを遮断しがち。壁を作りがち。
こういう人が、壁を乗り越えてやってきて肯定的な言葉を掛けてくれる人にであうと、その価値を過大に評価してしまう。
その人が良い人である可能性もあるけど「壁にこもっているやつに親しげに近づけば容易にてなづけられる」と学習した人のケースも多いのである。
評価を正常な値に近づけるには評価者を増やすしかない。 なんらかのプロジェクトをやる時にアイデアを隠すのか公開するのかという問題について。
アイデアを思いつくところがハードルなら隠した方が良いし、思いついたあと実践するところがハードルならなるべく早く公開して協力者を集め、フィードバックから学び、改善の速度を高めていく必要がある。
しかし、アイデアを思いついた直後には、実行がハードルであるのかどうか不可知
「御託はいいからさっさとやれよ」に尽きる気がする
やってみて一人でゴールまで走りきれそうならサッサと走り切れば良いし、走りきれなさそうならサッサと協力者を募るべき
他人に依存している状態を嫌うあまり、全部自分でやろうとする病。 依存の状態で留まるよりは良いが(本当に良いか?掘り下げて考える必要がありそうだが今回は保留)、依存を嫌うあまり孤立する
他人と対等で生産的な関係を築いている状態は、互いが相手との関係維持によって得をしている状態なので、関係を切られると損をする。これは片側の視点で見ると依存と同じに見える。
システム全体としてみた時に違いがある。俯瞰してシステムを見る力がないと違いを理解できない。
僕もタスクを一人で抱え込みがちなので自戒を込めて…。
依存から自立へのステップって、自分を無能だと思っている状態から、自分を有能だと思える状態への遷移なのだと思う。自己肯定感の回復である。なのでせっかく得た自己肯定感を手放して「自分でやるより頼った方が良い」と思うことを難しくする。 どうしたら良いものか。
自己肯定感が一種類である状態から、複数の状態に遷移する必要があるのか。そうすることによって、一部を手放して他人に任せつつも、残した部分で他人に貢献をし、全体として自分が「いらない子」ではない、「居場所がある」という感覚を維持できる
まず自己肯定感を分割し、それから何か一つについてその肯定感を高めてやる。その肯定感の余力を持って、別の肯定感を手放すように誘導する。
そう考えると何をやるにしてもやはり「勇気付ける」「肯定する」ところからスタートするのが良いのかもなぁ
聞きたいことリストってのが共有されてて、その中に「同僚が勉強会に参加しない」ってものがあったのだが、これもまず肯定から入るべき?
勉強会は知識獲得の手段なのだから、勉強会に参加するのではなく本を読むのでも良いし、自分でサブプロジェクトをやるのでも良い。目的と手段を混同してはいけない。勉強会に参加しないとしても、他の方法で知識獲得してるならそれを肯定すべき。 問題は全く何もしてないケースだよね。
学ぶことによって将来が良くなるという信念を持てていない。だから時間を未来への投資に回そうという気が起きない。
これは投資判断なので、結局のところ正解は時の試練によってしかわからない
学ぶことによって未来が良くなるのか、学んでも未来はちっとも良くならず娯楽に使える時間が減って損をするだけなのか、は不可知
読者がどちらのスタンスを選ぼうが僕には利害がないのでどっちでも良い
学ぶことは有益である教
飲み会の結果、自己肯定感の低い人は結婚させるかもしくはなんかそれに類するコミューンを形成することによって、無償で無条件の承認が与えられる状況にせねばならないという結論になった。
文字にしてみて思ったが自己肯定感を与えるコミューンって宗教なのでは。
つまり「学ぶとこは有益である教」を作って、自己肯定感を与えれば良い(斜め上の結論
良い教師は生徒の心に火をつける
これもまた行動を引き起こすための勇気づけ
「学ぶことは良いことだ教」は学ぶことは褒めるが、学べなくても褒めなければならない。さもないと無条件のこうていではない