クリムト展
【公式】クリムト展 ウィーンと日本1900
2019-05-09に行ってきた
猫好きおじさん
https://gyazo.com/1b640d21170ee66d57ada12013e6f269
キンキラキンの官能的な女性の絵とのギャップが面白い
ウィーン
クリムト 1862 - 1918
オーストリア=ハンガリー帝国 (1867 - 1918)
オーストリア革命 - Wikipedia (1918)
世紀末ウィーン - Wikipedia
1873 ウィーン万国博覧会 - Wikipedia
日本文化が紹介され大きなブームになる ジャポニスム - Wikipedia
1891 クリムト、金屏風風の額縁を作る
日中韓の芸術コレクションや、浮世絵・春画のスケッチが存在している
クノップフ(1858 - 1921)の影響を受けている
1898年3月、クノップフは21作品をウィーン分離派による第1回分離派展に出品し、大きな称賛を得た。この時にクノップフの作品はグスタフ・クリムトに影響を与えたといわれている。
フェルナン・クノップフ - Wikipedia
40歳ごろのクノップフの作品を見て35歳ぐらいのクリムトが「ええやん」ってなった
この時期に書いていた「ヘレーネ・クリムトの肖像」は6歳の姪の絵
https://gyazo.com/e9d67c998985e36baa9d2383f2c8f7dd
「女の子かわいいやん」「金屏風かっこいいやん」「クノップフ、エロいやん」→合体!
1899 ヌーダ・ヴェリタス(=裸の真実)
https://gyazo.com/16b4b1ef208fa0aa1ce74c2675bea6a2
手に持っているのは真実を写す鏡
頭の上の部分にシラーの詩の一片が引用されている、これがなかなかクール
大衆を喜ばせるのは悪
1901 ユディトI
https://gyazo.com/dcaecc8b4665e5baf53f2aaefb9853ff
画面の右下にあるのは男の生首
旧約聖書外典『ユディト記』由来
ユディト - Wikipedia
この辺りの作品が攻撃的な性格なのはこういう背景:
世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのはクンストラーハウス(kunstlerhaus)という芸術家団体であった。ウィーンの美術界は印象派の影響もほとんど見られず保守的であった(中略)1897年、クンストラーハウスの保守性に不満を持つ若手芸術家らはクリムトを中心に造形美術協会を結成した。クンストラーハウスがこれを認めなかったため、クリムトらはクンストラーハウスを脱退した。
ウィーン分離派 - Wikipedia
"DER ZEIT IHRE KUNST,DER KUNST IHRE FREIHEIT"
「時代にはその時代にふさわしい芸術を、芸術には自由を」
ベートーベン・フリーズ
ベートーベンの交響曲第9番
日本だと年末の風物詩
第4楽章が合唱
歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が使われた
ベートーベンがこの詩を見て、曲をつけた
初演は1824、ウィーンで行われた
ベートーベン・フリーズはこの曲に絵をつけたコの字状の壁画
このシーンは第4楽章の合唱に対応している
https://gyazo.com/121eeffd1dc87be8c0642ba58aea1035
その後の話
モデルが子供を産んで、グスタフと名付け、別のモデルが子供を産んで、それにもグスタフと名付ける
子供がたくさんいるけど生涯独身
望遠鏡で湖の向こうの家を見ながら風景画を描く
Emilie Louise Flöge - Wikipediaの名前を呼びながら死ぬ
余談
クリムト展を見てきたがミュージアムショップにある「東京回路線図」がPCB基盤で東京の複雑な路線図を表現した上でiPhoneからの電波で発電昇圧してLEDが光るという衝撃的な作品に心を激しく揺さぶられた(クリムト関係ない)
東京回路線図 シリーズ  | PCB ART moeco