どういう時に無知がリソースになるのか
nishio 知識によって探索範囲を狭めることができて、効率よい正解の発見や意思決定ができる。その成果を実感していると、知識による範囲限定を使わずに探索をすることが非常に不効率で時間の浪費に感じてしまい合理的な精神でそれを選択できなくなる。しかし環境は常に変化しているので解の分布は変わる nishio 無知な人はこの探索範囲の限定がないので、限定があれば容易に気付けるかいに解にたどり着けてないことがしばしばあるのに対して、限定のせいで気づけていない解に気づく確率もある。ここで、この「解」自体も知識であり階層構造になってるところが重要だと思った nishio つまり「知識のある人Aとない人B」というのはあるレイヤーでの知識の有無で、そのレイヤーでの知識がないことによってBはAより広い範囲を非効率に探索し、その結果別のレイヤーにおいてAが持たない知識を持つに至る可能性があるわけだ。この構図があるから「知識のある人ない人」というラベルは不適切 nishio 興味深いのはこれがsupermodularなケース。Bが見つけたまだ小さな湧き出しポイントをAに教えると、湧き出し自体が成長してAの利益もBの利益も増える。こういうタイプのプラスサムのゲームをプレイしていることが大前提だ。その条件下で探索範囲の異なるプレイヤーに地図共有のインセンティブが生まれる nishio 「無知はリソース」という抽象度高すぎる表現が謎にウケてしまって、「無知は常にリソースというわけではない」という至極真っ当なツッコミがあったので、どういう時に無知がリソースになるのかをもう少し詳細に言語化してみた