池見澄隆「慚愧の精神史―「もうひとつの恥」の構造と展開」2004/9/20
https://gyazo.com/56493f27d1f9d262e0e2ff2ad99ab40d
恥 (榮辱?)
table:罪・恥
善惡基準 (罪) 優劣基準 (恥)
冥界 懺悔 慚愧 (對冥照的反應)
顯界 贖償 (財的・法的) 自恥 (對自照的反應)。恥辱 (對世評的反應)
世閒
非對稱
冥界→(みられる)→顯界
冥界$ \dashleftarrow(みえない)$ \dashleftarrow顯界
逆對應
對稱
顯界→(みる)→顯界
顯界←(見られる)←顯界
罪
懺悔 (kṣama)
恥
非行にたいする衝迫的煩悶
自稱「愚」
愚管抄
愚痴の法然
愚禿釋親鸞
慚愧
慚 (hri) + 愧 (apatrāpya)
「大般涅槃經」
慚とは自ら罪を作らず、愧とは他を敎へて作らしめず。
慚とは內自ら羞恥し、愧とは發露して人に向ふ。
慚とは人に羞ぢ、愧とは天に羞づ。是を慚愧と名く。
天 / 冥
天
冥
葆光
鬼
冥照
「靈異記」平安初期→「法華驗記」平安後期→「今昔」平安末期
輪廻轉生を眼前の事實として目撃し、因果の理法がわが身の上にも適用されることは疑ひない、といふ衝迫的煩悶を抱いた『靈異記』が「人→畜」轉生譚であったのに對し、「參籠・夢告」によっておのが前生を知らされ、衝撃を受け、恥じる、といふ『驗記』では「畜→人」轉生譚の形をとってゐる。
『靈異記』の三世因果の道理にたった現 (惡) 報譚→『驗記』の、輪廻轉生の根源を過去未來にわたる罪業にみる罪障譚→『今昔』において、冥界體驗の衝撃度の低減・緩和、いひかへれば超常性の日常化・合理化の傾向
超常性の合理化
相人の語った→夢の中で老僧に語らせてゐる
慚愧の念をもって自責・自罰せざるを得ない罪業自責觀→罪業は人閒存在に普遍的であり、そのゆえに罪業は――慚愧なき懺悔によってさへも――救濟されるといふ罪業許容觀
鈴木正三「盲安杖」1619
世法則佛法
追腹
人の死後に智識を賴み、念比に三宝を供養する事は、偏に三界を出離せしめん爲也。而に追腹を切て、後生の供を作すと云事は、未來永劫、輪廻の業を授け奉て、世々生々、主君の枷鎻と作の仕業也。大なる不忠に非や。謀反逆心の罪は、今生一世の不忠、追腹の罪は多生の不忠也。󠄀