人工言語學は存在しない
樂しむ爲なので學習曲線がなだらかに成るやう計劃してますが、作るならこれを「やらんと死ぬ」位いのものです
私は人工言語を作りたくはないのだ。自然言語を作りたいのだ。自然言語は一體洞の樣に出來上がって來たか? 其の經路をし得る限り精密に辿って、獨立の自然言語を作りたいのだ。私がユーラル語やガルデア語に肩入れしているのは其の所爲だ。ユーラル語はユーラル語は自然に作られた自然言語の筈だし、ガルデア語は自然に作られた人工言語の筈だ。私は誰も成そうとしない此れ等の事をしたいのだ。
人工言語學は狹義の言語學を含む
轉用
言語學を人工言語に適用する
逆用
言語の分析を逆にして綜合にし、人工言語を發生させる
アルカ
人工言語が若し高度であるなら自然言語と成る
人工自然言語
人閒は少ない情報で母語を完全に習得したりしない
「人閒は少ない情報で母語を習得する」と議論する時「完全に」と補ひがち。これが閒違ひ
母語全體に對して、赤子が習得するのは小さい一部。規則も語彙も閒違ってゐる
大人でも大いに閒違ってゐる
かう云ふ中で母語が成り立ってゐる事を考へる
一體何を習得するのか? これが「母語」の定義と成る
閒違ひの相對性と局所絕對性を區別する
或る部位 (人、場面) と或る部位が異なる、齟齬する。これは相對的閒違ひ
言語には或る場面に於いて、場面を超えて (しかし場面に於いてであるので局所的だ) 絕對性が在る
或る程度は絕對性には連續性が成り立つ。至る所で、ではない。特異點が在る
或る場面から見た絕對面の特異點と、別の場面から見た絕對面の特異點とは異なるだらう。これは相對性ではなく局所性
相對的閒違ひは對話、絕對的閒違ひは討議 (眞理の媒體)により訂正される、或いはされない。訂正されたか否かを認識する術は無い。これは他者性 局所的には絕對面である多樣體、多樣體からの射である場面同士の相對性 相對的價値形態、絕對的價値形態
母語を習得すると、言語的場面を發生させられるやうに成る
討議可能性
言語過程說
言語類型論をやるなら生成文法論と認知言語學もやりませう
言語類型論が單なる統計値ではない
統計の計劃と解釋にはmodelが必要だから
詰り歷史言語學も必要です
クレオール化を考慮しませう
アルカのコンテンツ主義には深さが無い
文化を產む必要が有るのであって、構築するのではない
私達の文化が先驗的であると云ふ矛盾を知れ
人工言語學とは人工言語を作る爲の知識體系
既存の言語を分析するのではく、言語を生成する
言語學全體を眞部分集合として持つ