Ztirfy への批判 / 歌謠の價値 2014/1/19
Ztirfyへの批判 / 歌謠の価値 - c4se記:さっちゃんですよ☆ 2014/1/19
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客 あんまり怠惰にしてるもんだから、返事が溜まっちまってるよ。このさいだから纏めてやっちまおうよ。
主 ああ。手書きだとblogに公開できないからって、ついついおっくうにしてしまった。これはまったくわたしの責任だが、そのあいだやすんでいたわけではない。しっかりとかんがへをすすめておいたから、全力でこたえやうとおもふ。ひとつめは「やっちまふ」といふよりは、ただ返事がおくれてしまってゐるだけだが、次とおなじくZtirfyがかかわってゐるから、sykmIkさんにはわるいが優しくやるとおもふな。
歌い手ってなんだと思います?言葉の意味じゃなくて...
職業的歌手と場末の歌双方に対する差異化ですよね。
既存のそれらとの差異化、ではないですかね。歌い手が「(プロの)ボーカリスト」とは異なるのはもちろん、彼らが楽曲のコピーを主とする以上、楽曲もまた原曲ではなく、プロによるカバーではなく、カラオケでもないとの意味かなと。
あ、なるほど... つまり、第三勢力ってことですね。
むしろプロに対する第二勢力たりえた、って感じなんですかね……。歌を歌うのが 好きな人がたくさんいて、それを聴くのが好きな人もたくさんいたというのがすごいですよね。まさにAlternativeって感じです。
みな何故か歌が好きだと云ふのは昔から明らかだった筈ですよ。やってゐる事だけであれば、その延長で変わりない筈です。其所ではないんだと云ふ感じです。
SongとSingの異なるように、我々の父母の世代における、自分の「歌う」のは酒を飲んだ時ぐらいだという認識と、「歌い手」との異なることは明らかであり、媒体と手段も異なる以上、やっていることが変わっていたとするしか他ないように思いますね。
主 おれがいわんとしたのは、近年動畫サイトなどで勢力をふるってゐる「歌い手」のものたちは、第二次產業のつくりだした職業的歌い手とはちがふ位相になるといふことだった。しかしそれからかんがへをすすめて、そんなことをいふべきではないことにおもひいたった。もっとちがふことをいふべきだったのだ。またそれは、わたしがすでにかんがへて、またそのかんがへを表明してゐることからみちびけるものだった。またそれだから、こんな返答をゆるしてしまった。わたしがこのsykmIkさんの返答をみてさいしょにおもったのは、それは単に事實に反するといふことだった。それはわたしが家庭をでたここ数年来の認識に反してゐた。しかしかんがへてみれば、それが事實だとみなせる地層もあることがわかった。さふいふかんがへから、おれのかんがへをはっきり区別してをく必要があるとおもふ。
客 きかせてもらおうか。
主 ああ。歌い手といふものの基層として、遊女とか門つけ藝とかの歌い手をかんがへることができる。もっとさかのぼって村の祭りで歌ふ巫の者や藝人たちも、いっしょとかんがへることができる。わたしたちの時代ではもうこういふ伝統はほとんど消えてしまったが、文獻ではたしかにたどることができる。路上演奏者でも、もうこういふタイプは少なくなってしまった。この基層のタイプは、農業や漁業などの第一次產業を主とした段階に對應させることができる。天然自然とじかに関係した段階を想定すれば、この層を定義できる。その次には劇場や舞台をかまへて、商業として歌い手をやりだした者たちをかんがへられる。この層は資本主義の發達に對應してゐて、いはば第二次產業の段階に位置してゐる。江戶時代から第二次世界大戰の戰前にかけてこの層は形成されていった。わたしたちは今でもテレビなどにその名残りをいくらでもみることができる。自然から高度な物品や槪念をつくりだしたのがこの段階だ。つぎにいまのところ最後にくるのは、大衆が大衆を離脱せずに歌い手をやりはじめた層を指摘できる。これはなにもつい最近のことじゃなくて、ロックやフォークソングが輸入されてテクノが流行りはじめたときにははっきりみつけられる。また逆にここ数十年のことにすぎないから、いまでもその以前の層と分化しきったとはいへない。この者たちは、高度に抽象された文化のなかにとびこまなくても、さふいった抽象を拒否して大衆のまま歌い手になれることを發見したのだ。この層を第三次產業を主とした社會に對應させることができる。產業はここで〈第二の自然〉をイメージしはじめたといへる。まったくきれいに峻別できるわけではないし、段階 (層) をかんがへるモチベーションとしては峻別するよりも、遺制のひきずりや混淆・反發を分析できるほうが大事だが、現在までの歌い手はこの三つの段階に分類することができる。
では動畫サイトやインターネットで勢力をふるういはば狭義の「歌い手」はこのどこに對應されるのかといへば、情報產業に對應させるのがいい。情報產業はなにも第三次のイメージ產業とはまったくあたらしいものではなく、このイメージの產業の本體だとかんがへることができる。情報產業で第三次の產業のイメージを象徵させることができる。ざっと述べればこんなところだとおもふ。
客 そんなところでいいとおもふよ。ただ情報產業についての見解は、このblogの昔にすこし書いたことがある (cf. 計算 (判断) を、人間の最も優れた〈能力〉と見做す思想を、情報技術と云ふ (情報技術・情報產業)) だけだから、きちんと披瀝しておかうぜ。きみ (井上) のかんがへでは、情報產業とは計算したり判斷したりすることを人閒の最上の能力だとみなすかんがへ方だ。これはさふつまらない定義ではない。コンピューターに関する產業を情報產業だとする「定義」よりはましなものだとおもってゐる。コンピューターやコンピュータープログラムとはなにかといふことにも應用できるからな。さきにきみ (井上) が述べたことを繰り返せば、情報產業は第三次の產業に含まれる。その中で情報產業を特別にみなす理由は、飲⻝業や医療などといったものの消費が勞働する肉體や精神の再生產といふ、第二次產業の世界をひきずってゐたのに對し、マスメディアからインターネットにいたる情報產業は、はじめて人類に第三次の產業のイメージが獨立した世界をみせてくれた。これは貨幣流通の領域でいへば株式の交換が生產企業への投資をこえて獨立したみかけをもつやうになったことに對應してゐる。ここではっきりと、人類は〈第二の自然〉を決める道をみつけはじめた。あらたな第一次の產業をつくりはじめたといってもいい。農業や工業もこの人造の自然のなかでかわっていくはずだ。ここからあらたな第二次の產業が分化してくるのはもっと先のことになる。こんなところになるはずだ。
主 ああ、そんなものでいいとおもふよ。sykmIkさんは第二次產業に對應する社會イメージを自分の感覺として初期第三次產業までそこにふくめてしまってゐるからああいふ判斷になるんだ。その段階ではsykmIkさんの見方でもそう誤差はない。だがそれでは高度第三次產業である情報產業に對應した「歌い手」槪念はとらえられるはずはないんだ。これは現在のアニメーションや文學の情況にもいへることだよ。
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@ne_sachirou 俺はお前と喧嘩をしたい!思想的な意味での喧嘩、だ。やむに止まれずだが... 主に音楽についての解釈だ。
@Ztirfy てめえ喧嘩になるとおもってやがるのか。なにがやむに止まれずだ、そんなだから考えることを知らねえっていうんだ。言うまでもなくわたしはどんな非難もうけてたつ。喧嘩するつもりならぐだぐだ言ってねえで自分の考えを表明しやがれ。
@ne_sachirou 社会的に歌が慰安と言われようが、社会的な価値が無いと言われようが、それで救われている奴らが何人居る?歌は俺の支えだ!命そのものだ! 俺の歌や、他の歌に支えられ、社会的な価値を生み出している奴らの事は眼中に無いのか?
@ne_sachirou ついでに言えば、最早権威に擦り寄るつもりも無い!俺は、俺自身の音楽や、世界を作ってるんだ!安寧なんて、生易しい領域に住んでいるわけねぇだろ!!!闘争なんだ!わかるか? その為に、俺は全てを投げ打ってるんだよ!!社会的な幸せもな!
@ne_sachirou ついでに言わせてもらうが、私は考えている。本なんか、全て投げ捨てたさ。俺をそこまで過小評価されたくはないね。昔よりは成長したんだ。 社会的に、じゃなく思想的な進歩でな。 喧嘩になると思ってるのか、というのはあれか。こんな雑魚では相手にならないと?
主 おれははじめに「思想的に喧嘩をしたい」などといはれて、こいつはなにを寢ぼけてゐるんだとおもった。こいつは「全てを投げ打ってる」とぬかしながら思想に全靈をかけてもいねえ。仲良く喧嘩なんてできるとおもってやがるんだ。どうしてこんな甘ちゃんなんだ。全靈をかけてやる以上、仲直りもなにもねえ。おまえとのこれまでの仲はなかったものとおもへ。そのあげくに持ち出してきた雜魚みたいな見解をこきおろすまえに、この問題をもうすこしみてみるぜ。
@Ztirfy なんでてめえと内緒話しねえといけねえんだ。公開してぜんぶやる、っていう気概もねえのかよ。わたしは返事を用意していってゐる。返事がおくれてゐるのはもちろんわたしの怠慢だ。それはいくらでも批難されることだ。わたしはその遅れにみあうだけのものを書けるか判断されるだけだ。
@ne_sachirou 内緒話じゃねえよ... 俺は、お前の声からも直接返事が聞きたかっただけだよ... まあ、返事が遅えのは気になってたが... 公開する気概?あるに決まってんだろ! 俺は、お前と正面から向き合いてえんだよ。いや、お前だけじゃない。この世の全ての規範とな。
@ne_sachirou ついでに、返事が遅れてるのは俺の方が非難されるべきことだ。 3年前から、ずっとだよ... あれから、あちこち職を転々としながら 俺は俺自身のあり方を考えてたんだ。 もちろん、自分の過去のトラウマや外見のコンプレックス、さちろうの一言も含めて全部ね。
@ne_sachirou 俺は己の覚悟を決めるのに10年レベルかかったからね。舐めてたよ、ええ。己の人生をな。ついでに言えば、さちろう、お前を、お前と呼ぶことにも臆していたさ。無意識のうちに怖がってたんだよ... お前をな。 だけど、それじゃ、はじまんねえんだよ!!!
@ne_sachirou 俺は、お前と正面から向き合いたいんだよ!難しい言葉でごたくを述べられてもわからんからね。 学歴も、スキルも、経験も、全て捨て去ったうえで、お前と一体一の話がしたい。丸裸の魂で、お前と向きたいてえんだよ!つまんねえ飾りなんざ、まっぴらごめんだ!
主 おれがあんまり返事を遅らすものだからZtirfyが電話 (LINE) を掛けてきた。思想を賭けて「喧嘩」をしてゐるから、おれは當然電話 (LINE) にでなかった。それが二度も電話 (LINE) を掛けてくるものだから、おれはTwitterで電話 (LINE) をとらなかったことの註釈をした。返事を遅らせてゐる責任は自分にあるから、おまえ (井上) は黙ってゐるやつだと全面的に非難をうける責がある。だが、思想者として戰っちまってゐる以上、內緖で濟ませることはあってはならない。たぶんおれの讀者なんてひとりもゐるわけはないだらうが、公開でおっぱじめた以上は公衆はみなこの論爭をよむ權利がある。思想者と自註するなら、みずからの思想課程を秘密にすることはゆるされない。とうぜんおれにもひとりだけのかんがへといふものはあるが、ただ個人としてではなく思想者としての發言を內密で濟ませたことはいちどもない。公開してふっかけられた「喧嘩」は、すべて公開して批判する義務がある。電話や手紙を寄越すのは葬式のときだけにするんだな。まだある。
@ne_sachirou 返事、いつ頃になりそう?
@ne_sachirou 返事欲しいんだが... だいたいの時期でいいから、何時頃になるかぐらいは聞きたい。
主 なんだこのふぬけた催促は。恋人のまちあわせじゃねえんだ。論爭はルール無用の殺し合いでもねえが、紳士淑女のスポーツでもねえんだぜ。「お前の声からも直接返事が聞きたかっただけだよ」といふが、袖の下じゃねえんだ、「喧嘩」してる相手と裏でこそこそ示し合わせて談笑する倫理はもちあわせてゐない。「俺は、お前と正面から向き合いたいんだよ!難しい言葉でごたくを述べられてもわからんからね。」とほざきやがるが、こいつは表現といふことがわかってゐるのかね。こいつがおれをこわがる契機は、おれの側にあるわけがない。おれはおれのした發言や行爲ににたいして、どんな批判もうける準備がある。さういふ態度でいつでもゐる。だからこいつが怖がってゐるのはこいつの勝手で、じぶんの發言を怖がってゐたわけだ。それはこいつとのいままでの仲で、なんどか指摘したことがあったかもしれない。おまえの人生などしったことではないが、それを自覺したといふなら結構なことだ。そのわりにこけおどしをおぼえただけじゃないことを祈るぜ。こいつは「ごたく」と述べてゐやがるが、どんな思想や表現も修鍊無しに讀めるわけはない。いままでの仲で述べてきたおれの思想がわからねえといひたいのだらうが、じぶんの怠慢を棚にあげるんじゃないぜ。どんな者にもわかるほど平易にいへないのはわたしの修鍊が足りない証拠だし、その責は全面的にうけるさ。だがおれの思想の底がわからないと甘えてしなだれかかっても、それはZtirfyの修鍊不足以外に帰するものではないさ。
@iTerwtt そういえば、リナさんは@ne_sachirouの関係者なんですか? 彼と似たような匂いを感じたので...
@Ztirfy .。oO((〃l _ l) なにそれww関係者ってww結構昔からフォローしてるけど、違う人ですよ。ももんがさんは狂気的な可愛さがあって好きだけど
@iTerwtt そうですねー まあ、彼は色々な意味でアイアンメンタルなので、私はすげえなあと思う次第です☆ 彼とは、かなり長い友達付き合いをさせていただいているので...
主 そのあともこれだ。以前にもこいつはsykmIkさんにおなじやうな迷惑をかけてゐたおぼえがあるぜ。sykmIkさんはうまくいなしてゐたが、きちんと残ってる。
@iTerwtt フォローしました!アニメイトには最近行き始め、特にとあるシリーズにはまってます☆よろしくお願いします!!僕のことは、とーやちゃんと呼んで頂けるととても嬉しいです☆敬語は一切不要です(^^ゞ 楽しく絡んでいきましょう♪♪♪
@Ztirfy フォローありがとうございます。早速ですが、あなたはたけのこの里派ですか、きのこの山派ですか。大事な質問です。
@iTerwtt @Ztirfy たけのこの里派です。山が里に属することは明らかです。が、「大人のきのこの山・大人のたけのこの里」はどちらも甲乙つけがたい逸品でしたね。(または、コアラのマーチ)
@sykmIk @iTerwtt シルキーさんは、なかなか面白い方ですね。さっちゃん経由でフォローさせていただきましたが、人癖も二癖もあるので、勉強になります!
@Ztirfy @iTerwtt 一癖も二癖もあるので、(そういう人について)勉強になります!的な。冗談、冗談です。ちょうど今日フォローして下さった方が他の方もフォローして、TL上でやり取りしてるのが妙に奇遇に感じられたのでつい横槍出してしまいましたょ。
@sykmIk @iTerwtt なるほど... 横と横のつながりですね... 僕としては横槍は別にオッケーです。もし気まずいならば、リツイートして空リプしていただければ拾えるので... 所で、さちろう(さっちゃん)とはどういうご関係で?
@Ztirfy 井上さんとは麻里奈的な関係です☆です♫(えーと……Twitterで知ったって感じです)
@sykmIk ももんがクラスタですか?
@Ztirfy そう思ってもらえてたなら嬉しい限りですね。輿水幸子に腹パンクラスタでもなんでも。
@sykmIk やはり変人さんですね...(歓喜) 僕はさっちゃんとは友人として一応長めのお付き合いをさせていただいているので(関係ない)
@Ztirfy 中学の頃に初めてを捧げて以来ずっとセフレです!とかシャレならん冗談言おうとは思いましたが、とーやちゃんさん多分古いご友人だなと感じてやめときました。表面的な印象が違う=根で繋がってる、ですよね。てか美琴美琴言ってる人も変人です、佐天さんはどうしたんですか。
@sykmIk シルキーさん、本音、本音だだ漏れてます〜!!美琴が好きなのは、こ、こ、これはし、し、仕方ないんですよ。アニメイトが僕を呼んでいたので... 行かないと(使命感) 佐天さん?彼女は、僕の横で今寝てますよ。
主 こいつ (Ztirfy) はなにをそんなに媚びてゐるんだ。これが「最早權威に擦り寄るつもりも無い!俺は、俺自身の音樂や、世界を作ってるんだ!安寧なんて、生易しい領域に住んでいるわけねぇだろ!!!鬪爭なんだ!わかるか?」と言ったやつのやることか。こいつがリナ・フィードさんやsykmIkさんとどんな関係をもとうととうぜん自由だが、おれを權威とみなすところから離れたらどうだ。もちろん今後、反權威に移動させたとしてもおなじことさ。おれを權威とみたてたり反權威として卑下するくらいなら、ちゃんと獨自でかんがへることをきたへるといいや。
かういふことをいってゐると、おまえのTwitterでのキャラ立てはどうなんだといはれさうだから、註釋しておく。おれのTwitterでのキャラ立てについては、あれはまずは半分だ、といふことだ。Twilogに漏らさず記録を残してゐるから自由に參照してくれればいいが、おれはTwitterをはじめたときから現在のキャラ立てをやってゐたわけではなかった。そもそもTwitterをはじめたのは平沢進の發言をみるためだった。それ以前ではおれはblogでTwitterみたいなことをやってゐた。そのあと、Twitter社のすぐれたinterfaceの氣樂さで、おれはTwitterでも發言するやうになった。おれは人附き合ひが苦手なのを自覺してゐた。そこでおれなりに、なんとか人附き合ひできる方法がないか模索してきた。そこはZtirfyとおなじだ。おれのやり方がせいさん (@sei_miu, @sei_mel, @ask2501) の影響をうけてることは否定しないさ。せいさんをみた時、かういふ文體の方法があるのかとおもった。おれとしては違和感をあまり感じないで濟むいちばんの方法だった。だから眞似できるところはさせていただいた。iconをアニメーションの少女の畫像にして頻繁に變へるのも、.。oO()を多用するのも、顏文字や繪文字をおおくつかふのも、そこに由來してゐる。せいさんにはいろいろと茶化された。iconを少女の畫像にするのは、おれの女性に生まれたかったといふ願望にあってゐる。.。oO()も顏文字も、おれの女性性に根ざしてゐる。せいさんはそんなつもりでつかってゐなかっただらうが、おれはさうしてみせた。おれは、じぶんが女性に生まれたかったといふ願望も、そうは生まれなかったといふこともごまかしたことはない。だからZtirfyの性欲を言葉の陽面にだすやり方についても、なにもいふつもりはない。陰もないやうに明るく氣張ってみせるのもいい。ただじぶんの背丈をこえなければとおもふだけだ。だがおれは、自分の發言をひらいていく、かんがへを開放していくといふ課程をおこたったことはない。おれはいつも、わざわざおれをfollowしてゐる讀者全員にむけて發言してゐる。どんな個人にreplyを飛ばしたときも、follower全員である讀者が主役だといふ視點を缺かしたことはない。それは思想者と自註してゐるおれの役目だとおもってゐる。こいつ (Ztirfy) のやうに、全思想を賭けて「喧嘩」してゐるおれへの擦り寄りをダシしにてリナ・フィードさんに擦り寄る醜態をさらしたりはしないさ。
客 きみ (井上) が怒るのももっともだ。だがその邊にしておいて、こいつが主題にしたい歌の價値についてやってやらうや。「社會的に歌が慰安と言われようが、社會的な價値が無いと言われようが、それで救われている奴らが何人居る?歌は俺の支えだ!命そのものだ! 俺の歌や、他の歌に支えられ、社會的な價値を生み出している奴らの事は眼中に無いのか?」といってゐる。「ついでに言えば、最早權威に擦り寄るつもりも無い!俺は、俺自身の音樂や、世界を作ってるんだ!安寧なんて、生易しい領域に住んでいるわけねぇだろ!!!鬪爭なんだ!わかるか? その爲に、俺は全てを投げ打ってるんだよ!!社會的な幸せもな!」ともいってゐる。きみ (井上) はどうおもふ。
主 おれはすこし前まで、文學や音樂に社會的な價値なんてものはない、さういふものはあまりかんがへないほうがいいといってきた。もちろんこれはおれの獨自によるものではなくて、吉本隆明からひっぱってきた見解だ。ひっぱってくるやり方だけが獨自のものだった。とくに音樂はじぶんがさかんに實作してゐることもあって、かなりつよいいひ方をしてゐたとおもふ。うまく實作のところまでかんがへを延ばすことができずに、すこし無理に背伸びをしてゐるところがあった。最近はだんだんとかんがへがとどくやうになってきて、これとはすこしちがふことをかんがへてゐる。だが背伸びしてきたぶんのツケは払ふべきだといふ感じだ。こいつの「俺は己の覺悟を決めるのに10年レベルかかったからね。」といふ言の十年のくだりも、おれが吉本隆明からひっぱってきたことの孫引きで、要するにおれがいいかげんに背伸びしてやってきたことのツケなんだ。だからその點については、ちょっとおれ自身をあらんかぎりとっちめてやったほうがいい。だがそれでも、こいつのやうなおもねりと空虛にささえられた考へ違いをしてゐたわけではねえや。どんなに背伸びしてても體驗的な核はかならずあったし、それを普遍的な言葉にまでもっていくときの、どのくらい背伸びをしてゐるかといふ測量は嚴密にやってきた。また背伸びをもたらすところの必然性も手放さずにもってきたし、その矛盾を解消する努力を、まさに背伸びをしてゐるそのときですらおこたったことはないさ。
文學や音樂の價値について、おれのいまのかんがへを述べてみる。ここにひとつのリンゴがあれば、そのリンゴの價値は、その木を自然の中からさがしだしてもぎ取ってもってくる勞働と等置することができる。木からリンゴをもぎ取ってここまで持ってくる勞働で消費される身體を、そのリンゴの價値だとみることができる。もうひとつある。リンゴを⻝べる (消費する) ことで生產される自分の身體や精神を、リンゴひとつと等置することができる。これはリンゴの有用さによる使用價値をいってゐることになる。もうすこし見通しのわるい例をみてみる。ここにひとつのどこにでもありさうな石ころがある。この石ころの勞働價値は、まさにその唯一の石ころ自體を自然の中からさがしだしてくる價値をいみしない。どこにでもある他の石をさがしてくればいい。ここでは人閒の、「等置する」といふ抽象力をみてゐることになる。その石ころは、それをもってゐる人閒におおきな有用さをもたらさないため、おなじくらいの大きさのほかの石と区別されない。等價だとみなされてゐる。この有用さは、人閒身體のもつ志向性 (欲望) の大きさや方向に對應してゐる。みずからの身體や精神の欲望を微細化すれば、石ころの價値を微細化できる。石ころの生產價値 (身體・精神の消費價値・欲望) と、石ころの消費價値 (身體・精神の生產價値・欲望) を等置する意識が、こっちの石ころとあっちの石ころを等價だとみなす判斷をささえてゐる。ここでわたしたちは交換價値の原初をみてゐるのだが、交換價値の条件をみたすにはもうひとつの段階がなければならない。
いまある一定量の鐵塊をリンゴ一個と交換することにする。わたしは鐵塊の使用價値を放棄してリンゴの使用價値を得る。だが鐵塊の有用さとリンゴの有用さとは、そのままでは等置されないはずだ。わたしは鐵塊を鋳造してナイフをえることができる、針をえることができる、獨樂をえることができる、それによってわたしの娯樂や明日の身體の糧をえることができる。またわたしはリンゴを⻝べて身體を生產することができる。ここで鐵塊やリンゴの使用價値 (消費價値) は、方向や經路は異なるが、それらを消費することでえられる身體・精神の量を推察することで計られる。いひかへれば、えられる身體エネルギーの期待値を時閒にそって積分することで計算される。また鐵塊やリンゴの生產價値は、鐵塊を掘りだしたりリンゴをもぎ取ってくることで減る身體エネルギーの期待値を積分することで決められる。ここでもし、わたしがひとりだけで鐵塊とリンゴを等置するのならば、じっさいに生產價値や消費價値を測ってみればよい。だがこの場面で、わたしたちはすでに社會的な交換にであってゐるのだ。わたしは特別に不器用で、鐵塊を掘りだすのにとくべつ時閒がかかるかもしれない。またわたしはリンゴの生態やその場の地理をしりつくしてゐて、リンゴなど造作もなくとってこれるかもしれない。あるいはわたしは鐵塊の使用方法をしらなかったり、リンゴはみるのも嫌いでとても⻝べられたものではないかもしれない。だがこういった個人的な生產價値や使用價値のちがいは、社會的な交換の場面では閒接的ないみしかもたない。鐵塊やリンゴの交換價値は、ひとびとの社會的な認識力に依存する。
では文學や歌謠の價値はどうかんがへればよいのか。いま「妹や羽子板市に来て泣くや」 (角川春樹「信長の首」) といふ歌をかんがへる。これを「妹 / や / 羽子板市 / に / 来て / 泣く / や」と分析してみれば、「妹」といふ語の價値は作者の妹を指す意味のはたらきや、「妹」といふ語が喚起するイメージと等置される。また「妹や」は「妹よ」といっても意味としてはおなじだが、歌の價値はまったくかわってしまふ、そのちがいからみえる喚起力が「や」といふ語の價値といへる。わたしはソシュール (Ferdinand de Saussure) のやうにシニフィアン 能記 (signifiant) とシニフィエ 所記 (signifié) といふことをいひたいのではない。また言語體系 langue と使用場面 parole のちがいや、連辞 syntax と系合 paradigm のくみあわせにも關心がない。「妹や」の價値は、それを表現する作者の自意識と、了解する讀書の自意識に依ってゐる。いひかへれば「妹よ」や「年下のきょうだいや」といはずに「妹や」と表現した作者の內的な意識力の行使と、「妹や」ときいてじぶんの妹との仲のわるさや育ってきた家族の記憶をおもひうかべて慰められる讀者の意識力が、「妹や」の使用價値にあたる。そして社會的な人閒存在にたいして「妹や」といふ表現が對自的に存在する仕方が、この語句の交換價値である。いはば「妹や」といふ語句が意識や無意識の內部から表現されたときの、意識自身への反作用にあたってゐる。
Ztirfyは、じぶんの歌唱をきいて樂しんだり氣を紛らわしたりしたものの行う勞働のおおきさが、歌の價値だといひたいわけだ。もうすこしきちんといへば、Ztirfyの歌唱をきくことで生產された精神を人類にそって積分した総量が、Ztirfyの歌の價値だといってゐることになる。だがそんな積分はできるわけがないんだ。こいつがそんなたいした歌唱をおこなってゐるのかねとからかいたい氣持ちをおいても、こいつの歌唱を録音したレコード百枚の價値は、そのレコードを買った百人のうけた感銘と等置できるといへないこともない。だがそれはおまえの歌唱や音樂の價値ではないや。あるZtirfyの歌唱の價値は、その歌唱表現において行使したZtirfyの內心の行使力と、こいつの歌をきいたリスナーの內的な感銘の喚起力に依ってゐる。そして人閒の意識領域は、意識領域についての意識じたいをじぶんの意識として含むといふ矛盾のために、いひかへれば、身體の各作用の時閒性が障礙にであい、障礙が矛盾として存在したところの補償作用として意識じたいが存在するために、文學や歌謠の價値は商品の社會的な價値と等置することができない。うれる歌唱がうれただけ價値があるわけでも、うれない歌唱に價値がすくないわけでもない。表現としての歌唱の價値は、商品としての價値槪念へたどりつくまでにおおくの遠い層をとおらなくてはならない。その論理をかんがへぬく努力をせず、すぐに社會的な安寧へたどりつこうとすると、こいつ (Ztirfy) のやうに生易しい權威に媚びることになる。こいつには、おれが眞理しかないといふやうには、じぶんには歌しかないといふ覺悟はねえんだ。生易しい權威に擦り寄る道具にすぎねえのさ。日々生活し疲れ慰められ「社會的な價値を生み出している」大衆存在が眼中に無いんだ。こんな雜魚みたいな見解で「喧嘩」をうられても、まともにうけるほどおれはお人好しじゃないぜ。歌唱の修鍊をたっぷり積んで出直すがいいや。
客 そんなところでいいとおもふよ。ひとまずはこんなところにしておかうか。
※2023/9/3 その後 Ztirfy にこの記事を渡し、話し、私からは大いに遲筆だった事を、彼からは喧嘩を賣った事を謝罪し合ひ、和解してゐる。思想の內容は檢討し議論するべき事であって、喧嘩するべき事だと私は考へない。私は今でも彼と友人であるつもりだ