Jacques Ranciére「無知な敎師 知性の解放について」1987/4/2
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切り離し
說明する敎師の實踐が結びつけてゐる二つの役割
学識豊かな者の役割 / 敎師の役割
習得といふ行爲のなかではたらいてゐる二つの能力
知性 / 意志
說明と理解
彼は、「生徒は論證の理解を手ほどきする論證を理解したかだうか」といふ、それ自體目眩のするやうな問ひに判定を下すただ一人の者
敎へられる科目と敎育すべき主體との距離、また學ぶことと理解することとの距離を、識別できること
話された言葉の書かれた言葉に對する逆說的な特權
これまで役立ってきた同じ知性を使っては、もはや學ぶことはできない
學ぶことと學んだかだうかを確かめることとの自律的な關係は、彼には今後無緣のものである
當の理解といふことに關しては改善の度合ひを決してはかることができない
何かを誰かに說明するとは、まづ第一にその人に向かって、あなたは自分ではそれを理解できないのだと示すこと
一方で、彼は絕對的な始まりを宣言する。今初めて學習の行爲が始まるのだ、と。また一方で、彼は無知といふヴェールを學習すべきあらゆるものの上に投げかけ、それを取り去ることを自ら引き受ける。
劣った知性は、習慣と必要との狹い範圍の中で、行き當たりばったりに感知したものを記錄し、記憶に留め、經驗に基づいて解釋したり繰り返してみたりする。これは幼い子供や庶民階級の人の知性だ。優れた知性は物事を理性によって認識し、單純なものから複雜なものへ、部分から全體へと、筋道 (method) を立てて進める。
愚鈍化←→解放
一つの知性がもう一つの知性に從はされるところに愚鈍化がある
服從が一つの知性をもう1の知性に結びつけるとき、それは愚鈍化になる。敎へたり習得したりする行爲には二つの意志と二つの知性がある。それらが一致してゐることを愚鈍化と呼ぶ。
畜群
文字を精神に置き換へ、書物の權威を說明の明快さに置き換へる
理性の理性自身への信賴を破壞してしまふ
人が說明してくれなければ理解できないと理解するといふ喪の作業
進步人
彼は敎はり、故に學び、故に忘れうる。彼の背後には、新たに無知の溝が掘られる。だが、この仕組みが素晴らしいのは、その無知は以後他の人たちの無知になるからだ。彼が忘れてしまったこと、それはすでに乘り越えられたことなのである。
忘れれば忘れるほど、自分が理解したのだといふことがますます明らかになる。
←→暗記。復唱
優越の意識によって、自分が劣等感を抱かせた者を自分たちに繋ぎ留めておく
彼らに理解できる範圍で事を行ふ
善良な感情
「劣った者と優れた者がゐる。劣った者には優れた者にできることができない」。
彼らは「差異」といふ耳觸りのよい武器を持ってゐる。「これはあれではない、これとあれとはほど遠い、比較することはできない」等々。記憶力は知性ではない、復唱することは知ることではない、比較は理性による推論ではない、內容と形式がある、云々といふわけだ。
發達には段階があり、子供の知性は大人の知性ではなく、だから子供の知性に負担をかけすぎてはならず、そんなことをしてしまへば、その子の健康や才能の開花を損ねてしまひかねない、等々。
舊式は綴りを言はせることで生徒を愚鈍化するのではなく、獨りでは綴りを言へないのだと生徒に言ふことによって愚鈍化するのだ。
知性の平等
潛在的にはすべての人閒に、他の者がなしたこと、理解したことを理解する能力がある
全ての文章、したがってそれを作り出すすべての知性は、本性を同じくする
理解するとは飜譯すること以外の何物でもない。つまりある text の等價物を與へることであって、その text の根據を與へることではない。
飜譯しようとする意志
conprehensive input
同一の知性
敎師の知性 = 生徒の知性 = 作者の知性
母語を習得する知性
謎かけを解く
偶然
彼らに向けられた人閒の言葉、それが何なのか分かりたい、そしてそれに應へたい
狀況による強制
緊急事態。個人の意志と故国の危機。必要に迫られ。例外的な狀態。緊急性。欲求が高まって。狀況に強いられて
衝迫
Jacotot の與へる指示
分析家の欲望
信賴
敎師が彼にはそれができると信じ、彼が自分の能力を發揮するやうに強いれば
解放←→愚鈍化
Jacotot が作った實驗的狀況においては、學生は一方で一つの意志、すなはち Jacotot の意志に結びつけられ、他方で一つの知性、すなはち書物の知性に結びつけられてをり、意志と知性は完全に異なるものだった。二つの關係の違ひが認知され維持されてゐること、意志が他の意志に從ふときでも己自身にしか從はない知性の行爲を解放と呼ぶ
迅速な道
←→歷劫修行
無知な者がもう一人の無知な者にとって學識の原因になりうる
「私があなた方に敎へる事は何もない、と敎へなければなりません」
円環
敎師とは、知性が己自身にとって缺くことのできないものとならなければ出られないやうな任意の円環に、知性を閉じ込める者
無知な者を解放するには、自分自身が解放されてゐること、すなはち人閒精神の本當の力を自覺してゐることが必要であり、またそれで充分
能力の円環は、その公開性によってしか實效性を持ちえない。
解放の円環は開始されなければならない。
切斷
革命
「私は說明なしにたくさんのことを習得しましたから、私のやうにあなたもさうできると思ひます」
古典的な書物、ある言語がその形式と力量のおおよそを示してゐる書物
ある決まった書物、それはふさがれた逃走路である。
敎師が生徒に隱すものは何もなく、生徒が敎師の目から隱せるものも何もない。円環がごまかしを禁じてゐる。なによりもまづ、「できません」、「理解できません」といった、無能力といふあの大きなごまかしを。
話し始めなければならない。できません、などと言ってはいけない。君は「ぼくにはできません」と言へるのだから。代はりに「カリプソはできなかった」と言ってみなさい。さうすれば君始めてゐるのだ。君はすでに知ってゐた道を進んでをり、これからはこの道を途中で放り出すことなく辿っていかなければいけない。「言へません」と言ってはいけない。さう言ふのなら、それをカリプソ風に、テレマック風に、ナルバル風に、はたまたイドメネ風に言ふ事を習得しなさい。かうして別の円環が、能力の円環が開始される。「言へません」の言ひ方が際限なく見つかり、やがて君はなんでも言へるやうになるでせう。
演
隱れてゐるものは何もないことを、語の背後に語はなく、言語の眞理を語る言語はないことを、發見しなければならない
meta 言語は無い
普遍的敎育
何事かを學び、そこに他のあらゆる物事を、すべての人閒は平等な知性を持ってゐるといふ原則に基づいて關聯させる
彼には何が見えるか、それについて何を考へるか、またそれらをだうするかを言ふやうに求められる。そこでただ一つだけ絕對に必要な条件が課される。言ふことはすべて書物の中に具體的に示さなければならない
まづは何かを學ばなければならない。
無知な者が知ってゐるものは常に何かしらあり、それが比較の項となって、新たに知るべきものを關聯づけることができる。
そこに見えるすべてのもを私に言はなくてはいけません
考へ出すのは思ひ出すのと別種のことではない。
能力は一つしかない、見たり言ったりする能力、見たり言ったりすることに注意を拂ふ能力だ。
新しい關聯を發見し組み合はせるために意志が知性に傳へる energy の大きさに應じて、知性の 發現〔manifestations〕には不平等があるが、知的能力には序列は存在しない。
敎師が彼に見つけるやう指示できるものは常になにかしらあるので、それについて問ひただし、生徒の知性の仕事ぶりを確かめることができる
記憶。覺えてゐる事
「容易には說明できない」
←→途切れの無い言語的意識
意志
體力
體術とその必然の有る體力は平等ではないか?
注意深くなったり (覺) 不注意になったり (眠) する
人閒は——とりわけ子供は——、意志が彼を自分の道に据えたり引き止めておいたりできるほど強くはないとき、敎師を必要としうる。
注意
斷固たる集中力
知性をある意志の絕對的な強制のもとにはたらかせる行爲を注意と呼ばう。
命令する意志
服從する知性
好奇心
偶然
しかしいかなる「有能な者」もそれを理かうすることは決してないだらう。Joseph Jacotot 自身、偶然が彼を無知な敎師にすることがなければ、決して理解することはなかっただらう。偶然のみが、制度化し具現化した、不平等への信仰を覆すに足る強さを持つのだ。
外傷
「眞理は、我々に思考するやうに強い、眞理を探すやうに強いる何かとの出會ひに依存する。」
偶然の出來事だけが、まさにその豫見不可能性によって、不可能であることが自明とされてゐるものの可能性を開く
「私は自分の知らない事を敎へた」といふのは眞理である。それは現實に存在した事實であり、再び起こりうる事實の名である。この事實の理由はといへば、それは今のところ一つの臆見であり、事によるとずっと臆見のままであるかもしれない。しかし、この臆見を携へて、我々は事實から事實、關聯から關聯、言ひ囘しから言ひ囘しへと、眞理のまはりを囘るのである。
敎師の上手い下手は在るだらう
外國語學習
言葉が通じない
知的に支配する事ができない
自分の母語との比較
誰もが母語を喋る
相手にはこちらの過ちがわかる
敎師 (役) と知性の分離
役
役者
觀客
觀光客
感性的なもののパルタージュ (分割 = 共有。分有)
ハビトゥス
ディスタンクシオン