星加弘文「キリスト敎 信仰と理性論」2021/2
「開かれたキリスト敎のための信仰と理性論」
健全な信仰
知ってゐる事 | 信じてゐる事
知ってゐる事
知識
體驗
根據に基づく
信じてゐる事
信仰
敎義に基づく
知ってゐる事と信じてゐる事とが區別されてゐる
←→不健全
體驗されるべき事を信仰で賄ふ
體驗した事にしようとする
信じられるべき事を體驗で賄ふ
信仰と倫理の分離。信仰第一倫理第二
眞理 | 權利
キリスト敎は他者の眞理を脅かさうとするが――思想信條とはそのやうなものでなければならないと私は思ふ――、他者の權利を脅かすものではない。
各々が信仰する權利が守られてゐる限りは
眞理より權利が優先される
權利と權利の爭ひは法が裁く
T | R
T (truth) : 眞であること
←→false : 僞
R (reality) : 現實への關はり
←→mythical : 架空
キリスト敎信仰の事實依據性 | キリスト敎倫理の非事實依據性
信仰の事實依據性 T | 信仰の事實依據性 R
信仰の事實依據性 T (信仰の正當性 (legitimacy))
信仰內容が世界の事實に一致してゐる
イエスの復活についての事實認定を含む信仰において、現實の世界でその出來事が起こっており、信仰がその事實を受けて成立したものである
成立した信仰が眞であるために必要
「第一コリントス」第十五章 14〜19
キリストが甦らされなかったのならば、我々の宣敎も無駄であり、あなた方の信仰も無駄である。それならまた我々は神の僞證者といふことにならう。死人が甦らされないといふのに、神が甦らせなかったキリストを神は甦らせたのだと神に反して證言したことになるからである。死人が甦らされないとすれば、キリストもまた甦らされなかったのである。キリストが甦らされなかったのであれば、あなたがたの信仰は空しく、あなた方はまだ自分の罪の中にとどまってゐることになる。とすると、キリストにあって亡くなった者もまた滅んだことになる。我々が此の (世の) 生においてキリストに希望を託したといふだけの話なら、我々はいかなる人よりも哀れである。
信仰の事實依據性 R (信仰の正統性 (orthodoxy))
信仰內容が聖書と一致してゐる
信仰の成立に必要
信仰の事實依據性 R0
聖書の記事が、その眞僞はともかくとして、とにかく事實であることとして書かれてゐるのでなければならない
福音の內容が事實に照らして眞であるといふ以前に、それが世界の事實に關係したものとして提示されてゐる
信仰の事實依據性 R1
我々の信仰は、事實として書かれてある、その聖書の記事を文字通りの意味に受け取ってゐなければならない
聖書が事實に關はることとして述べてゐることをそのやうなものとして承認する
倫理の非事實依據性
キリスト敎倫理 I | キリスト敎倫理 B
キリスト敎倫理 (Ideal)
Kant 倫理學
非事實依據的
定言命法
キリスト敎倫理 B (Bible)
キリスト敎倫理 B0
信仰に基づく倫理
罪が赦されたことへの感謝を動機とする倫理
報恩感謝
キリスト敎倫理 B1
命令に基づく倫理
「マルコ」第十二章 29〜31
聞け、イスラエルよ、主なる我らの神は唯一の主なり。汝のすべての心から、汝のすべての生命から、汝のすべての思ひから、汝のすべての力から、主なる汝の神を愛すべし。
「申命記」第六章 4〜5
七十人譯
イスラエルよ、聞け。われわれの神・主は、一つである。そしておまへは、おまへの思ひを盡くして、おまへの全人格で、そしておまへの力を盡くして、おまへの神・主を愛するのだ。
マソラ本文
イスラエルよ、聞け。われわれの神・主は、一つの主。そしておまへは、おまへの思ひを盡くして、おまへの魂を盡くし、そしておまへの力を盡くして、おまへの神・主を愛するのだ。
おのれの如く汝の隣人を愛すべし。
「レヴィ記」十九章 18
七十人譯
そしておまへは、おまへの民の子らに恨みを抱いてはならない。おまへはおまへ自身を (愛する) やうに、おまへの隣人を愛するのだ。
マソラ本文
そしておまへは、おまへの民の子らに恨みを抱いてはならない。おまへはおまへ自身を (愛する) やうに、おまへの隣人を愛するのだ。
「マタイ」第二十二章 37〜40
汝のすべての心において、汝のすべての生命において、汝のすべての思ひにおいて、主なる汝の神を愛すべし。
おのれの隣人を愛すべし。
「ルカ」第十章 27
汝のすべての心をもって、汝のすべての生命において、汝のすべての力において、汝のすべての思ひにおいて、主なる汝の神を愛すべし。
おのれの如く汝の隣人を愛すべし
キリスト敎倫理 B2
それ以外の聖書の命令
階層 model
B0→B1→I→B2
B0
救はれたから定言命法 (I) が實行可能になる
事實依據的な信仰によって確立する
B1
原則に從って行動し、聖書を解釋する
信仰のみ。義認
I
人權
B2
信仰の生活
聖書の解釋
聖書には救ひに關はる (救拯) 出來事が書かれてあり、信仰はこれらの事實に依存する
事實
神は世界と人を創造した
アダムは墮罪した
神はイスラエルの民を選んだ
神は豫言者を遣はした
イエスの公生涯
ローテの原理
イエスを信じ、イエスが聖書を神の言葉としてゐるが爲に聖書を信じる
リカルド・ローテ
Benjamin Breckinridge Warfield
倫理に關はる命令は、啓蒙主義的に解さねばならない
律法主義ではない
イスラエル民族は繰り返し神の意に反し、その度に神は士師と豫言者を遣はして彼らの悔い改めを促してきた
聖書の命令は、命令が成された狀況に制約されて成されたものとして解釋する
救はれたと云ふ信仰に相應しく行爲する
律法の遵守によって惠みが與へられるのでなく、救ひを與へられたから倫理的な行爲が可能になる
神を愛し、隣人を愛する
史的イエス (historical Jesus)
史的イエス T | 史的イエス R
史的イエス T
史的イエス R
「史実と信仰真偽」問題と「史実と信仰成否」問題
使徒的信仰
ケリュグマ
「あなたがたはイエスを殺した」しかし「そのイエスを神はよみがへらせた」
あなたがたはイエスを處刑に値すると判斷した。しかし神はイエスを復活に値すると判斷した。
使徒行傳 第 2 章 22〜24 (ペテロの發言)
イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。ところがあなたがた自身がご承知のように、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、あなたがたは不法な者の手によって十字架につけて殺しました。(しかし)神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒行傳 第 3 章 13〜15 (ペテロの發言)
アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。(しかし、)神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
使徒行傳 第 4 章 10 (ペテロの發言)
皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
使徒行傳 第 10 章 39〜40 (ペテロの發言)
あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り步いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。(しかし、)神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
使徒行傳 第 13 章 27〜31 (パウロの發言)
エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。イエスは、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。
復活のこの理解により信仰が成立した
「說得力のある智慧のことば」から「愚かな十字架のことば」へ
第 1 コリントス 第二章 2
十字架の神学←→栄光の神学
ローマ 第三章 21〜24
しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ユダヤ敎外への傳播
神を信じる前にイエスを信じる
ユダヤ人も、ギリシヤ人も、すべての人が罪の下にある
ルターによる再發見
一般啓示 | 特別啓示
信仰と理性
理性が理性を語る
哲學
理性が信仰を語る
Wilhelm Herrmann
宗敎哲學
信仰が信仰を語る
Karl Barth
敎義學
信仰が理性を語る
Herman Dooyeweerd
https://gyazo.com/2c06365f7c81f27bd326842737777d49
meta
前件肯定論證 / 後件肯定論證
解明
使ふ論理
基礎づけ論證
Thomas Aquinas
Thomas Aquinas の論證した神は、どうしてキリスト敎の神だと言へるのか?
Immanuel Kant の「純粹理性批判」
否定$ w\Vdash\neg Aと不明$ w\cancel\Vdash Aの區別
理性としては、不明な「福音書のイエスは歷史的事實である」事を假定してもよい
解釋
使ふ論理
實在論
敎義學