序説第三版
「序説」は序説だ。其れは本質への試行であり思想の身振りだ
「序説」は乱暴である。理由は凝結の為だ。結論丈を提示し一字一句迄気を配った。然し絡め手を辿れば了解し得るよう並べた。
取り敢えず「序説」は全 10 回の断想集だ。読み難いのは態と戦略的に滑る事を試みたからだ。だから滑れば楽に読める。斜め読みが一番!
面白く読む事を祈って!
決定するとは分断線 (/) を引き中央 / 周縁の階層的二項対立を秩序付ける事だ。
正義は疑問提示不可能でなければならない詰り問うた瞬間常に既に-其れは決定不能だが-飲み込まれていなければならない。 神は祈る事と勅される事でのみ関係――出来ない。祈る事は願う事ではない。<del title="余計">祈るとは贈与であり自体は現前せず立ち現れる。</del> 闘争する独異は個 - 類に絡まれない。空の境界は特異点から様々な斜めに引かれた逃走線が共立平面を作った時に成る分断線と云う殻だ。
何かを言う時其所には必ず「私にとって」「私としては」が常に既に棄却されている。此の永久重力 (非主体) は補充不可能 (死体) である<ins>だ</ins>。
私 (原主体) は鏡 (他者) から反射して物象化される。<del title="余計">故に「私は思う」と云う私の意識は「自分が話すのを聞く」(独我論)「声は自分を聞く (= 聞かれる)」であり「声は意識である」。</del>
独我論は永久重力から逃れ得たと自覚(妄想)する事則ち「自分に成り立つ事は皆に成り立つ」と信じる論理だだから「他者を有り得ない仕方で定義する論理」と成る。
傷付けられた時は必ず傷付けている。「天に唾す」という構図は本質的だと思う。
思想は救済の為にする。<del title="前文と同義反復のため">思想なぞする者は救われない馬鹿者だと思った方が良い。</del>
分断線が権力線へ昇華されない限り虐待は起こらない。
物語りは常に他者に向けて行う。
実体は物象化の産物である。物象化は只納得する事に依り凝結すれば達成される。
忘却は永遠…。
永劫囘歸は<ruby><rb>始源</rb><rt>アルケー</rt></ruby>と<ruby><rb>終末</rb><rt>テロス</rt></ruby>の螺旋である。 本質はバベル以前の言語であり遡行に依って漸近的にしか展望出来ない。だから本質 (表層) は撒種としての本質 (仮面) である。 祈る事で重力から恩寵され怪物に成る。
引用は代弁である。
振り仮名は背景である。
流浪する文章は著者の永久重力から解放されている何故なら読者の永久重力に捕らわれているから。
他者への重力は想定し得ない。
<ins>偶然な</ins>關係の絕對性 (因縁) と云う不可避を生きる絶対の尊厳を持つ此の独異である。 <ins>自覚と云う応答が責任である。其れは正義への応答である。</ins>
宗教<ins>怪物</ins>の条件は戦きである。
本質論は発生論である (解体 - 遡行展開する)。
「喰う」は重力として捕らえる。
物 (者) は其の身体に依る。
生は悍しい。
倫理は権力線 (善 / 悪) に依るし、正義に於いて倫理は不可能と成る。
心象に於いて俯瞰する事は出来る。
世界はほら此んなにも面白い。
<del title="余計">「誰も蛙を狂ってるなんて言わないのにねぇ」</del>
思想教育は不可能だ。
身体の原像は死体である。
段階を遡行展開するとは非連続の連続を喩える事だ。
他性 (無起源) は不可避である喩は常に既に与えられている。 思想は必ず絡め手になる。
思想は妄想と変わらない。
主体は欲望の一の線に沿って對象 a に依る自覚を以て出産される。<ruby><rb>世界</rb><rt>ワタシ</rt></ruby>は撒種な模倣である。 世界は空 (因縁) だ。
個物と個物が同じ<ruby><rb>範疇</rb><rt>カテゴリー</rt></ruby>に有る時其れ等は第三項に於いて喩的<ins>に</ins>類似性を持つ<ins>する</ins>。
第三項 (周縁) は排除 (<ruby><rb>棄却</rb><rt>アブジェクト</rt></ruby>) され限定されるが<ruby><rb>場処</rb><rt>コーラー</rt></ruby>として<ruby><rb>道化</rb><rt>パルコマス</rt></ruby><ins>的</ins>に限定し活性若しくは脱骨する。
不可避は色々に喩えられるだろう<del title="余計">、例えば永劫囘歸・永久重力・永遠極限に喩えられるかもしれない</del>。 <ruby><rb>経済</rb><rt>エコノミー</rt></ruby>は有り得る天の<ruby><rb>属領</rb><rt>エコノミー</rt></ruby>と地の<ruby><rb>属領</rb><rt>エコノミー</rt></ruby>と底の<ruby><rb>属領</rb><rt>エコノミー</rt></ruby>の非連続の連続が。
<ins><li>地の<ruby><rb>属領</rb><rt>エコノミー</rt></ruby>は<ruby><rb>中立</rb><rt>ニュートラル</rt></ruby>だ</li></ins>
昼の光は遮蔽され影となるが夜の闇は遮蔽されない。<del title="次項">[- 則ち前線で個物は無い。</del>
<ins>前線で個物は無い。</ins>
カオスモス (非制度) からカオス (原制度) とコスモス (制度) が常に既に出て仕舞っている。
リズム・メロディは曲の制度 (属領) だ。
躰は常に分身である元の躰は既に埋葬されている。
顔は常に仮面である元の顔は既に焼却されている。
原制度は<ruby><rb>無秩序</rb><rt>アナーキー</rt></ruby>な<ruby><rb>周縁</rb><rt>カオス</rt></ruby>だ。
<li>物が照らされるとは包囲光が遮蔽される事である。</li>
生<del title="余計"> (詰り死)</del>は死の敵である。
労働が価値の<ruby><rb>泉</rb><rt>ヨミ</rt></ruby>である。
大衆は雑踏に始まる然して噂が交う。
思想は衆生の原像を持つ。所謂ルンペンプロレタリアート的だ。
逃走線 (闘争線) は分断線を横断する一の線で此の争異の前線は分断線/権力線へ成る。
様々な斜めに「教ふ - 学ぶ (x = 言語)」「売る - 買う (x = 貨幣)」が交通だ。對象 a は自我を作り対象 x は他者である。 關係の絕對性 = 関係の第一次性 = 関係の偶然性と云う絶対矛盾的同一性。 個幻想と共幻想は逆立する。
性差は対幻想に於ける差で n 個の性が有る。対幻想は三角形である。 對象 a (x) は対象 x (a) に宛てられている。此の郵便的な独異は宛先不明だ。 逃走線が共立平面を織り成し分断線の下に諸機械が駆動を始め権力線が諸装置へ組み上げる。此の回路が無限に夢幻転向する。
線の種差は前線より寧ろ後方で出る。
言 / 書の様に対立するものは二重螺旋を走行する。
方位は<ruby><rb>高原</rb><rt>プラトー</rt></ruby>の種差。
個幻想・共幻想は対幻想を疎外する。<del title="余計">則ち他者性の経験をだ。</del>
供犠の越境が境界を確定する。