クロスカントリーの定義
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/37/Ind_cross_country_1924_Summer_Olympics.jpg
いまんとこ出した答え:「クロスカントリー」とは「私有地と共有地を縫って歩く」こと ウォーキング自体を関心の中心におきつづけたのはイギリス人だけだった
ジョン・ミューアは「環境保護」ドイツのワンダーフォーゲル運動は「反権威主義」のような政治的な思想が存在していた
産業革命以後のイギリスでの農地に対する考えかた
人道(フットパス)を重要視し余暇に歩こうとする人々が増える
余暇に歩きだしたのはイギリス式庭園を持つ人々 つまり上流階級の人々
その一方で土地へのアクセス問題 => 経済問題に直結
所有者と使役人という対立項よりも上流階級の所有者同士での領地に関する問題
効率的な土地へのアクセスは農地での生産効率にも影響する
そのうちに中流階級へも余暇に歩くということが広まり対立項が多様化する
共有地(コモンズ)と通行権という対立が存在
これらを背景としウォーキングクラブが数多く設立される
法律としてこれらが保証される
「クロスカントリー」とは「私有地と共有地を縫って歩く」という意味ではないか
所有権のみを絶対視することなく,小道を土地協会と同じくらい重要な原則に捉えるという,土地に対するひとつの別の見方
場所としての「クロスカントリー」は所有権と通行権を共存させる緩衝地帯として機能するのではないか
ここでいう共有地とは「景観」のようなものも含む
taizoooさんのはなし 「土地の所有」という点においてイマントコの答えを補足する形になっているのでパーマリンク確保したかった けれどサンドボックス的な場所で書かれているからスクショで貼っておく
シクロクロスの起源は1900年代に遡る。その成り立ちにはいろいろな説があり一概には言えないが、一説には自転車選手が隣町までの競走の際、近道のためにフェンスの中に入り畑の中を自転車で走ったのが起源だとも伝えられる(この当時、冬場の休耕地であれば立ち入る事は許されていた)
ニワトリが先か卵が先か?
「クロスカントリー」という概念がすでに存在していて陸上競技・スキー・自転車などのスポーツが生まれたのか?
「陸上競技・スキー・自転車などのスポーツ」のために「クロスカントリー」という概念を生む必要があったのか?
なぜイギリスから「クロスカントリー」という概念が生まれたのか?
イギリス式庭園またはフットパスとの「クロスカントリー」の関係は? http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/enc/genre/08-kan/jpg/kan0103_001_01.jpg
もともと「歩くことを楽しむための道」という意味で、今でこそ羊を飼うために柵があったりするわけですが、初めに道があったのだからその道を廃止する権利は誰にもなく、歩く権利「The Right of Way」があるという考えからきています。フットパスは農場や自宅の敷地内など私有地にまで道が続いており、イギリスでフットパスが大切にされ、「歩く」という文化が発達していることが分かります。
数年前のブルータスでフットパスのことを取りあげてるのあった気がする(たぶんうちにあったはず…)
ワーズワース兄妹とジャック・ケルアックらの徒歩旅行の違いはなにか? いいかえればイギリスとアメリカの徒歩旅行の違いはなにか? イギリスはスポーツと賭け事を切り離しませんし、アメリカにとってフロンティアは征服する場所ですよネ via 1836年ワーズワースが66歳のときのエピソード
ある私有地のなかを歩いていたとき地主から不法侵入だと警告をうけた
そのとき「この道は大衆が歩きつづけてきたものであり地主だからといって締め出すのは間違っている」と言い張ったという
これはフットパスの主張と重なる
北アメリカにおける長距離の徒歩旅行は,イギリスのウォーキングツアーのような上品さとはまるで縁がなかった
ここでジョン・ミューアやコリン・フレッチャー(遊歩大全の!)が出てきた
イギリスはパブからパブへ,あるいは宿から宿へ
アラン・ブースの日本縦断の旅や津軽地方への旅は「宿から宿」への旅でありビールを買うための「食料雑貨店から食料雑貨店」への旅だった アメリカで長距離を歩くということは,大抵の場合は荒野の只中か,少なくともイギリスとはほど遠いスケールでひろがるハイウェイや見ず知らずの町へ分け入ってゆくことになるのだ
通行権というものがないアメリカの土地では,生産とあそびの領域がきっちりと分断されている
「フットパス歩くこと」は「生産とあそびの領域のどちらへも行ったり来たりすること」
キッチリどちらかを歩くことはない
ケルアックも「ザ・ダルマ・バムズ」関連で出てきたけど「ゲーリー・スナイダーに影響されて車に乗るのをやめて登山をはじめた」ぐらいのかるいかんじでしか触れられなかった
ケルアックは1956年まで車の運転方法を学んだことがなく、また生涯運転免許を取得することはなかったという。
読み進めるうち別の文脈でゲーリー・スナイダー中心でこのあたりの話が出てくる
ゲーリースナイダーのハイクは東洋的な登山
東洋的な登山 => 「高みに登るよりも山に居ること」を偉大な詩人・賢人が讃えている just like 李白
「さまよう」とは道教の教えにおいて「脱自の境地」を意味する言葉である スナイダーは日本で修験道継承者と交流をもった
ケルアックとスナイダーの徒歩旅行は思索と詩作のためのものであったのではないか?
日本では六世紀以前は山は神聖は場所とされていて登らなかった
山は俗世とは隔絶された領域・人間は立ち入ることができない聖域とされていた
仏教伝来とともに神々と通じるため霊峰の頂上を目指す登山がはじまった => 修験道
そもそも「田舎的な場所」だけに「クロスカントリー」は存在するものなのか?
都市にもクロスカントリーは存在する可能性がある
このはなしは「クロスカントリー的な場所」という意味のはなしのほうじゃないかと理解した
参考資料:
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
陸上競技の長距離種目の一つで,野原,丘陵地,森林などに設定されたコースで行なわれる競走。コースはテープによってはっきり示されている。距離は一般男子で4~12km,女子で4~8km。オリンピック競技大会においては,1912年ストックホルム大会で正式種目に採用されたが,1924年のパリ大会を最後に中止となった。近年盛んになり始め,日本では千葉と福岡で国際大会が開かれている。
デジタル大辞泉の解説
1 田野・丘陵・森林などを横断するように設定されたコースで行う長距離競走。断郊競走。
2 ⇒クロスカントリースキー
大辞林 第三版の解説
野原・丘・森などを横断して走る長距離競走。断郊競走。
山野を縦断して走ったり歩くこと。クロカン。
なにも道具を使わない長距離走。
スカイスポーツで、無着陸で行う長距離飛行。
スキーを使ったクロスカントリースキー。
自転車によるクロスカントリー。
自動車によるクロスカントリーラリー。
パラグライダーのクロスカントリー・フライト。
1867年に行なわれた「初のクロスカントリー・ランニング」の様子を描いた挿絵。当時は「ペーパー・チェイス」という一種の鬼ごっこが競技に取り入れられ、挿絵はウサギ役になった参加者が紙片などの「ヒント」をばらまきながら猟犬役から逃げているところ。
Paper Chase (game) - Wikipedia via 確信ではないのですが。検見川というクロスカントリーコースを見たことがあります。芝が敷き詰められた丘陵地帯でした。クロスカントリーと呼ぶ場合そのフィールドは全く手付かずの自然ではありません。おそらく休耕地や未開拓地を指していると思います。つまりエンクロージャーです via