アラン・ブース
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日本に7年間住み現地の言葉や文化を深く知り長距離徒歩旅行の文章を書いた
ブースの愉快な「佐多岬への旅」は歩行の文芸が到達した一里塚といってもよい
気になる! ただし「佐多岬への旅」は未翻訳とのこと
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めっちゃよかった
「ニッポン縦断日記」 70年代という時代もありガイジンに対するものすごい偏見のなか長距離を歩き 決して歓迎されてはいない出会いとそんなひとたちとの会話をつづけたことは現在の視点からすると平行世界もしくは異世界の出来事のよう ある意味マジックリアリズムなわけですよ
ちなみに著者は「日本人がいう国際化ってなに?」「アメリカ人のような生活をすること?」「アラブ人や中国人ではだめなの?」と外国語教育の場に疑問を投げつけた人物 そんな方がめちゃくちゃ閉鎖的な田舎に自ら文化的にボコボコに殴られに行く 殴られるため歩くことを選んだようにも思える
文化的にボコボコに殴られた旅行だけれど 酒好きの地元の人たちと盛りあがってベロベロに酔い 地域の小さな祭に乱入して和太鼓を叩くような場面もあり 結果として文化的に殴りかえしてるんじゃないかと思うところもあった
地区の小さな祭でベロベロに酔っている見知らぬイギリス人が和太鼓を叩くという場面は いまでこそあるかもと思ってしまうが 当時にしてみれば相当な文化的ショックだったろうなと想像できる
「なにもせずひたすらこの国を観察することでここで生きていくということがつかめるかもしれない,もっとはっきりした画像が浮かぶかもしれないと思ったんです.前よりよくても悪くてもね」 日本で結婚し生活する著者の言葉は生まれた場所とちがう場所で生きる人間にはむず痒くも考えさせられた
アランさんはかなり有名だったのだけど、デーブ・スペクターのようなレベルではなかった。
何度も読み返しているうちに、私の胸の内にとんでもない思いが芽生えた。
「私も徒歩日本縦断というものをやってみよう!」
妻と二人の子供がいる中年の平凡な会社員であった私にとっては、一大決心であった。
妻の承諾を得、会社を辞め、徒歩日本縦断の旅に出たのは、この本に出逢ってから7年後のことであった。
In 1970 Booth moved to Japan to study Noh theatre, but soon began writing. アラン・ブースから 能へもつながるのか
ブースはかつて役者、舞台監督をしていた頃に日本の「能楽」を学び始めたが、やがてもっと世俗的なもの、祭りや民謡などに惹かれるようになった。同時期の他の西洋作家たちが日本の「能」「茶道」「禅」などに興味を持ち、そうした題材を取り上げていたのに対し、ブースが注目した“日本”は田舎(特に関東以北)に伝わる伝統文化のような地味で世俗的なものであり、仏教よりも日本固有の宗教である神道にまつわる文化を取り上げた
「徒歩で日本を縦断したい」夢を胸に温めて十数年。定年を迎えた翌々日、著者は佐多岬に飛び立った。起きては歩き続ける一人旅。軽妙洒脱な口調が、歩く楽しさを伝えてくれます。
1977年に128日かけて宗谷岬から佐多岬を歩いたイギリス人、アラン・ブース。彼の著作『ニッポン縦断日記』に出会った著者が「私も徒歩でやってみたい」という夢を胸に温めて十数年。定年を迎えた翌々日、佐多岬に飛び立った。「よほどのことがないかぎり、自宅には帰らないつもりだ」。起きては歩き、起きては歩き続ける一人旅。あるときはロングトレイルの大家・故・加藤則芳氏に思いを馳せ、またあるときは地元の美酒・美味に舌鼓。軽妙洒脱な口調が、歩く楽しさを伝えてくれます。
毎日の紀行文が、その日、その場所の景色や状況、人物なども想像できよかった。